DV法と子ども2005年11月05日

 昨日は,弁護士会で,「改正DV法と子どもの問題」についての研修を受けてきた。

 DV(ドメスティック・バイオレンス)の実際の被害者は圧倒的に女性が多く,それは,性別による家庭内役割分担の考え方から来る,「男に女は従うべき」という観念に由来しているという。したがって,必ずしも異性間に限らず,同性間でも,男性の役割をする人と女性の役割をする人との間でも同様の問題が生じるという。このようにドメスティック・バイオレンスは,性別を基準とする役割分担を正当と考える意識が基盤にある問題であり,社会構造からくる問題だから,決して特殊な問題ではなく,どこの家庭でも起こりうる問題ということだ。

 ドメスティック・バイオレンスは,暴力を受ける「配偶者」のみならず,子どもに対しても深刻な影響を与える。ドメスティック・バイオレンスの相談件数のうち半数については子どもに対しても暴力が振るわれているとされ,子どもに対する直接の暴力がない場合でも,「加害者への憎悪・怖れ」「性格・情緒のゆがみ」などの影響が回答されている(東京都内2か所の配偶者暴力相談支援センターの調査結果)。このような背景があるからこそ,児童虐待防止法の改正によって,DVを見せられることが虐待と定義されるようになっている。

 最近はドメスティック・バイオレンス絡みの離婚紛争における子どもの奪い合いのケースもよくあるという。家裁においては,子の福祉の観点から,親権と監護権の分属は無いということだ。また,それまで家事や育児を相手方に任せっきりにして自分は仕事(や遊び?)にかまけていながら,離婚する時点になって親権をよこせというのは通用しないということであった。親権者の側が経済的に苦しければ,相手方に養育費を払わせる形にすればよいということのようだ。金で子どもを手もとに引き寄せることはできないのである。

 DV法に基づく措置については,家族を行政が無理矢理引き離すもので,円満な家庭を壊すといった批判がある。しかし家族生活は,「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」なされることが前提のもので,家庭の和の維持などの名目で構成員の人権が侵害されてはならない。家庭の和といったものが一方的な都合で主張されたもの,又は単なるお題目にすぎないものになっていないかを冷静に考える,そうしたことをもDV法は加害者に求めているのではないか。

 そのような形で人々の意識の改革,ひいては社会構造の変革を図っていく道具として,DV法は,不十分なところはあれど,今後も形を変え機能していくように思えた。