あべこべでしょう2006年08月28日

栄耀栄華を誇っている人って・・・・

裁判員制度導入へ自信 但木検事総長が講演KYODO NEWS

但木敬一検事総長は25日、東京都千代田区の日本記者クラブで講演し、2009年までに始まる裁判員制度について「日本に合わないのではと議論があった民主主義も、数十年かけて日本的に成熟した。裁判員制度も日本の社会システムに同化できないわけがない」と導入への自信をみせた。

日弁連が望む容疑者取り調べの録音・録画については「捜査を監視するための録画は受け入れられない」とした上で「裁判員は短期間で(容疑者らの)供述調書が適正に作成されたかを判断する必要があり、そのための捜査の『可視化』は試行していく」と述べた。

自分たちが監視されるのは受け入れられないって,「行政の透明化」がこれだけ叫ばれている時代に何を時代錯誤なことをおっしゃっているのでしょうか。

一方ではNシステム,生体情報入りパスポート,弁護士を監視機構の一員にしようというゲートキーパー法案・・・と,市民の活動を監視するための情報収集には熱心でな一方,公僕であるはずの自分たちの活動を市民に監視されるのはイヤだとは・・。権力は濫用の危険があるから権力行使を受ける人たちによる監視の必要があるというのが「民主主義」の原点では無かったでしたっけ?

「裁判員は短期間で(容疑者らの)供述調書が適正に作成されたかを判断する必要があり、そのための捜査の『可視化』は試行していく」

って,要するに,役人が法案を国会議員に「御説明」して「御理解いただく」のと同様に,自分たちの考えを通すのに都合のよい資料だけ集めてなんとか同意をとりつけようということなのでしょうね。

上記の検事総長の発言には,権力行使に対する監視は緩いままに「市民」を自分たちの権力行使の道具として手なづける一方,権力による市民の活動の監視は幅広くしていこうという考えが露骨に現れています。でも,市民の自由は最大限保障されるべきで,いたずらに公権力による監視を許すべきではない一方,公権力(特に警察権など強制力を持つもの)の行使に対しては監視できるようにすべきで,総長の発言は本来のありかたとはあべこべの,自制心を忘れたものとしか言いようがありません。

ちなみに,但木総長は,

社会が事前規制型から事後チェック型に変化していると指摘し「市民が自己責任を果たすためには、自分で判断する材料が不可欠。虚偽情報をつくったり流したりする犯罪には厳しく当たりたい」と訴えた。

但木検事総長、経済犯罪への厳正対処方針を表明NIKKEI NET))

とのことですが,一部だけの『可視化』って,「虚偽情報をつくったり流したりする」ことになるおそれが強い気がしますが,どうなんでしょう?