提供卵子を使い体外受精、不妊治療の団体が実施へ2008年02月20日

卵子提供者の負担についてはどう考えているのでしょうか?

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080220-OYT1T00024.htm

全国21の不妊治療施設で作る「日本生殖補助医療標準化機関(JISART)」は19日、友人や姉妹から提供された卵子を使う体外受精を独自のルールに基づいて進める方針を固めた。

すでに同機関の倫理委員会で承認されている2例をまず実施し、その後も独自の指針を策定して実施していく。3月1日の理事会で正式決定する。

卵子提供による不妊治療は、卵巣を失ったり機能が低下した女性でも妊娠が可能になるため、海外でも米国を中心に広く行われており、多数の日本人が海外で卵子の提供を受けている。国内では、長野県の根津八紘医師が110例以上の実施を公表しているが、法整備の遅れなどもあって、一般的にはなっていない。

同機関は昨年6月、日本産科婦人科学会や厚生労働省に対し、卵子提供による不妊治療の実施を承認するよう申し入れた。これに対し同学会は、生殖補助医療のルール作りを昨年から検討している日本学術会議の結論が出るまでは実施を見送るよう要請し、同機関もそれを了承した。

ところが、学術会議の検討は代理出産の是非が中心で、それより希望患者数が多い卵子提供についてはほとんど審議されなかった。19日に提示された報告書案にも盛り込まれなかったため、「『ノー』というサインはない」(高橋克彦理事長)と独自に実施する方針を固めた。2例は、いずれも卵子提供以外に妊娠の可能性がない夫婦。それぞれ子を持つ友人と姉妹から卵子提供を受ける。

JISARTの方針について、同学会の星合昊(ひろし)倫理委員長は「第三者の卵子提供を明確に禁止しているわけではない」とし、「体外受精は夫婦間に限る」とする会告の違反には当たらないとの見解を示している。

提供卵子の採取は,本来そのままの形では外に出ることのない卵子を強制的に外に排出するという不自然な行為であり,排卵促進剤による副作用などにより,女性の身体に負担をかけるものです。不妊の女性の要望に応えるためという名目で,夫婦以外の第三者に負担をかけることを安易に認めてよいとは思えません。

日本生殖補助医療標準化機関(JISART)のサイトを見てみました。

その設立の趣旨には,

JISART はわが国の生殖補助医療専門施設の団体で、品質管理システムを導入することで生殖補助医療の質向上を目的とし、究極の目標は患者満足を高めることである。

と書かれています。あくまでも患者満足の向上が趣旨とされ,精子や卵子,胚を提供する者への配慮は見られません。

また,JISARTの実施規定(PDF)にも,精子や胚の提供者の健康等に配慮した規定は見られません(患者に対する関係の基準ということからすれば当然なのかもしれませんが)。

このような団体を構成している医療機関に,卵子提供による生殖補助医療を認めてよいのか疑問を感じます。

上記記事では卵子を提供する女性について,「子を持つ友人や姉妹」とされています。しかし,今後仮に卵子提供による体外受精が認められた場合,友人が提供する場合はまれで,実際には親族による圧力から,姉妹(等の親族)による提供が半ば強制されることになるのではないでしょうか。この点は,学術会議の検討委員会が,代理出産について営利非営利問わず禁止する理由として「強制と勧誘のおそれ」を挙げていたことが当てはまるように思います。

卵子提供による体外受精についても,代理出産同様禁止すべきであり,両者を包括した,生殖補助医療に関する規制法を早急に作るべきでしょう。

コメント

_ まきぷ ― 2008年08月01日 22時44分58秒

私は28歳ですが、生きている卵子がもう居ないだろうと診断されています。
世の中には授かった命を虐待したり、殺してしまったりする親も居れば
心から愛する人と子供を育んでいきたいと思っているのに、身体能力面でそれが出来ず泣いている人も居るのです。
安易にすべてを禁止、解禁と言うのは、どちらも正解とは思えません。
子供が産めないという事が、女としての人生を奪われるのと同じような悲しみである事を・・・愛する人の子供を一緒に抱き、育てる事が出来ない絶望的な気持ちを・・・判るのは結局体験した事のある人だけ・・・
何も知らない第三者が話し合いをして何かを決めようとしても、それはきっと納得のできるものではないでしょう。
【命を不自然に作り出す】という行為は確かに神への冒涜だとか、不自然だとか・・・非難されることはあると思います。
が、本当に不妊症で治療して苦しんでいる人は同じくらい命がけで母になりたいと願う気持ちもあるのです。
本当に必要とする人が、必要とする医療を、みなさんの理解のもとで行える社会に・・・
そう願っています。

_ ノムラ ― 2008年08月02日 09時39分13秒

>まきぷさん
>【命を不自然に作り出す】という行為は確かに神への冒涜だとか、不自然だとか・・・非難されることはあると思います。
>が、本当に不妊症で治療して苦しんでいる人は同じくらい命がけで母になりたいと願う気持ちもあるのです。

本文をよく読んでいただければ分かっていただけると思いますが,そのような理由で禁止すべきと言っているのではありません。

単純に,不妊の人がかわいそうだから提供卵子による体外受精を認めるべき,という考え方に押し切られ,他人のために排卵することを余儀なくされる人が出てくるであろうとして反対しているのです。

_ 悲しいです ― 2008年08月20日 18時49分23秒

簡単に禁止すべきと言い切れる人がいるんだとショックを受けています。
まだ20代なのに原因不明で早発閉経になり、人の何倍もの量や期間で誘発の注射を打っても不妊治療のスタートにも立てない私は前世かなにかでよっぽど悪いことでもしたのでしょうか。
子供よりも子供を抱いた父親を見ていることができません。別の人が妻であったら、夫もいろいろな経験ができたでしょう。
死にたいと思ってもそれがまた夫や両親をどれだけ傷つけるだろうかとそれすらできない。助けてほしいと希望にすがりたくなるのはいけないことなのでしょうか。
こんな絶望をきっと味わったことがないであろうあなたが嫌味ではなく本当に羨ましいです。
思わず書き込んでしまいましたが、もう2度とこんなサイトが目に触れないことをただただ願っています。

_ ノムラ ― 2008年08月20日 21時47分35秒

>悲しいです さん
子どもができないこと自体全く悪いことではありませんし,そのようなことを問題視する風潮があるとすれば,そのような風潮こそ非難されるべきだと思っています。

また,私自身,子どもを持ちたいと思い努力すること自体否定するものではありません。ただ,卵子提供による体外受精の場合,その「努力」する夫婦の間で自己完結するものではありません。体外受精のための卵子を提供する人に対しては,本来ならば外に出てこないはずの卵子を排出するために薬剤が使われるのですが,その副作用は無視できるものではありません。また排卵自体,提供者の身体に負担をかけるものです。他人にそのような危険や負担を負わせてまで子どもを持ちたいという欲求を満たそうとすることがいいのかどうかについて,社会的に熟慮されることが必要ではないでしょうか。

愛する人に「我が子」を抱かせてあげたい,お腹を痛めた子どもを産みたい,という気持ちも分からないではありませんが,他人に負担をかけてまで満たすべきことなのか,養子ではなぜいけないのか,慎重に考えられるべきことではないでしょうか。

_ T_E ― 2008年09月08日 03時04分47秒

はじめまして。卵子提供について検索していてこちらに来ました。JISARTが卵子を無償提供する女性を登録する「卵子バンク」設立へ動き出したようですね。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080830-OYT1T00400.htm?from=main2
>今後仮に卵子提供による体外受精が認められた場合,友人が提供する場合はまれで,実際には親族による圧力から,姉妹(等の親族)による提供が半ば強制されることになるのではないでしょうか。

ドナーが第三者のボランティアであればそういった問題も回避できるのでは。もともと姉妹からの提供のみであったのは第三者からの提供が可能なシステムが日本では皆無であるからやむを得ずという事だと思われます。最もボランティアのみでどれだけのドナーが集まるかは疑問ですが。
提供者への厳重な配慮、生殖補助医療に関する規制法を早急に作るべきというのには賛成ですが、禁止すべきというのはあまりに早急な気がしますね。
>第三者に負担をかけることを安易に認めてよいとは思えません。
という意見ですが、それでは献血や骨髄バンクなど第三者の善意に依存するシステムも認められないという事でしょうか??もちろん提供者への十分な事前説明等、確かな同意を確認する事は必要不可欠ですが。

_ ノムラ ― 2008年09月11日 22時04分57秒

>T_Eさん

>ドナーが第三者のボランティアであればそういった問題も回避できるのでは。もともと姉妹からの提供のみであったのは第三者からの提供が可能なシステムが日本では皆無であるからやむを得ずという事だと思われます。最もボランティアのみでどれだけのドナーが集まるかは疑問ですが。

意図的な排卵自体や,その時期を調整するための処置に伴う,身体的負担や精神的負担は,女性が通常味わうことのないものですから,どれだけそのような負担を理解してボランティアがなされるのか,甚だ疑わしく思います。

>>第三者に負担をかけることを安易に認めてよいとは思えません。
という意見ですが、それでは献血や骨髄バンクなど第三者の善意に依存するシステムも認められないという事でしょうか??

そこまでは申し上げません。認めることにより得られる利益は何かというのが,取扱いの差異につながるのだと思います。

なお,骨髄バンクについては,骨髄液採取に伴うリスクについてきちんと説明がされた上でなされるべきもののようには思います(採取現場ではきちんと説明されているのでしょうが)。私自身髄液採取は何度もされたことがありますが,あの痛さは尋常じゃありませんでしたよ・・。

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