「勝ち組」向け法科大学院の現状から考える2008年04月05日

私の在籍する第二東京弁護士会(二弁)は,「二弁フロンティア」という機関誌を発行しています。その最新号(2008年4月号)に,「新司法試験の結果と大宮法科大学院の今後の取り組みについて」(北沢義博大宮法科大学院大学教授・弁護士)と題する寄稿が載っていました。

二弁は大宮法科大学院と提携しています。同大学院の卒業生が昨年初めて新司法試験を受験した結果は,修了者64名,出願者62名,受験者43名,合格者6名というものでした。合格率は14.0%。法科大学院全68校中59番目の合格率です。未修者に限った合格率でも,下から14番目です。

このように合格者数という点では成果を挙げられなかった大宮法科大学院大学ですが,このような結果がでるまでは,以下のように,未来が開けているかのように語られた場面もありました。

5 大宮法科大学院大学の制度設計と殺到した人材

(2)学生の選抜と入学者の特性

2004年度の入試の合格者は予想もしなかったほど多様な人材であった。入学者は昼間主コース50名,夜間主コース47名合計97名,平均年齢33.6才。出身学部は理科系34名,法学部27名,法学部以外の文科系36名である。社会人比率は80%を越えた。医師11名,特許庁や中央官庁を含む公務員13名,マスコミ5名,弁理士3名などが入学した。

久保利英明「大宮フロンティアロースクール創設と展望」『魁としての第二東京弁護士会-創立80周年記念-』

私自身は法科大学院構想というか,法科大学院義務化には制度発足当初から反対でしたし,弁護士会が法科大学院の設立に協力するということにも反対でした。

http://www.ne.jp/asahi/bar/internet/lsgimon/fukusenkyo2003.html

ただ,大宮法科大学院大学設立にかかわった弁護士が上記のように入学者の多彩さを誇るのを見て,ひょっとしたら,「勝ち組」の入るロースクールとしてそれなりの成果を上げるのかも知れないとも思いました。医師や公務員は「試験」という関門をかいくぐった経験のある人たちですから。

(むしろ,問題点は,合格者数の多寡よりも,大学の「リーダー」と称される人が,「勝ち組」の人たちが入ったことを誇らしげにいうような大学に弁護士会が提携支援することにあると感じていました。なにしろ,現在でも,学費の高さ(公費助成による減額前の学費が年間200万円,施設設備費が20万円,情報通信費が5万円必要とされる。)とあいまって,入学までの人生でお金を貯めることのできた人(もしくは,銀のさじを口にくわえている人)しか入学できそうもないところですから。)

ところが,実際に修了者が試験を受けた結果は先に述べたとおり。惨敗と言っていいでしょう。

この試験結果について北沢教授は,「しかし,この合格者数は不満足なものといわざるをえない」と,十分な成果とは言えないことを認めた上で,さらに,

択一は,知識を問うもので,論文は分析力・文章力を問うものであるから,未修主体の本学は,択一は苦手でも,論文はできるだろうという思いこみが学生,教員双方にあった。今回の結果は,本学の学生は,法律問題に関する限り,分析力・文章力が劣っていたことを示している。

といっています。  しかしこれは,旧司法試験の論文式試験を苦手としてきた私(受験歴はこちら)からみると,大きな間違いだといわざるをえません。

論文式試験に必要な知識の量は決して少ないものではありません。北沢教授は「法律問題に関する限り,分析力・文章力が劣っていた」といわれますが,基本的な知識がなければ,分析することも,問題に対応した内容の文章を書くこともできないのです。

そのことは北沢教授もご承知でしょう。だからこそ,

司法試験に限らず,受験には,出題範囲を満遍なく理解し,一定期間の過去の問題を完全にマスターして臨むのが常識である。

などと言われるのです。もっとも,

残念ながら,本学の学生は,このような基本的なことを怠ったまま,受験した者が相当数いた。これでは,旧試験の厳しさを知り再チャレンジした既習の学生に敵わないのは当然である。

というのは,教学に責任を持つ者の発言として無責任という気もしますし,

未修を前提とし,夜間主の学生を半分抱える,本学にとってカリキュラムの充実と司法試験の合格のバランスをとることは他の法科大学院以上に難しい。この問題を1期生が身をもって示してくれたので,後に続くものはこれを乗り越えなければならない。

って,屍を乗り越えて進もうって言っているようにも見えて,いかがなものか?という気がしますが。

北沢教授は最終章で,

しかし,司法試験で判定できるのは,法曹としての能力の一部であって,全てではない。法科大学院修了生の上位3分の1を4日間の試験で選抜する制度の是非は問われなければならない。

司法試験合格者が増加して,「質の低下」が議論されているが,司法研修所の二回試験の不合格者数を直ちに質の低下の議論と結びつけるのは疑問である。昔から,訴訟物を間違える修習生はいたし,弁護士になって道を踏み外す者もいた。合格者を増加させれば,このような者も増えるであろう。しかし,これに勝る良質な法曹を多数供給することができれば社会は納得してくれるはずである。

と述べています。

合格者数の少なさを,司法試験制度に責任転嫁するのでしょうか。

それに,「訴訟物を間違える修習生」や「弁護士になって道を踏み外す者」が「増えるであろう」って,そのような状況を容認するわけにいかないから法科大学院制度が作られたのではなかったでしょうか。

さらに言えば,「これに勝る良質な法曹」って,何に勝るのかが分からないのですが,良質な法曹になるための条件が法科大学院でしかそろえられないものなのかどうか,何ら検証はされていません。自分たち教員や学生が一所懸命やっているのだから,法科大学院修了者の中からの合格者数増を認めてくれというのは,単なる傲慢にすぎないものです。

司法試験合格に必要な知識も身につけることができず,いたずらにスクーリングの負担だけが増える法科大学院。そのような法科大学院への通学を義務づける制度は,直ちに廃止するべきではないでしょうか。