法科大学院入学後の能力向上は無視してもよいと?2009年04月11日

中教審って,まあ次から次へとむちゃくちゃなこといいますな・・・。

法科大学院「倍率2倍割ったら定員減を」 中教審提言へasahi.com

法科大学院のあり方を議論する中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の特別委員会が近くまとめる最終報告に、競争倍率が2倍を割っている大学院について、定員削減を求める趣旨の文言が盛り込まれる見通しとなった。

10日、特別委の会合が文部科学省内で開かれ、入学者の質を確保するための定員削減を議論するなかで方向がほぼ固まった。競争倍率が低く、入学時の試験の成績が悪くても学生を入学させている大学院があることをふまえた。

文科省によると、08年度入学生の試験では、倍率が2倍未満の大学院は全体の約3分の1という。

倍率が低いことと受験生の質が低いことがパラレルであるということなのでしょうか?そうなると,司法試験合格者の「質」を高くするためには,合格者に対する受験者数(法科大学院修了者+予備試験合格者)の割合を高めるべきということになるはずですが,中教審はそのようなことは主張しないんでしょうか(審議会の審議事項の範囲外と言って逃げるのでしょうが・・・)。

そもそも,大学の善し悪しって,どういう受験生を集めるかではなく,どういう卒業生を送り出すかで決まってくるのではないのでしょうか。中教審の意見は,今回の定員削減論にせよ,適性試験による足きり論にせよ,入学者の「質」の確保に重点が置かれていますが,このような考え方って,入学者の「質」=卒業者の「質」と見るもので,大学内でいくらよい教育が行われ,また入学者が努力してもそれは取るに足らないものなんだ,結局,法科大学院って単なる箱物でしかないんだ,とさえ言っているようにも見えます。

また,大学の志望動機って,就職に役立つかどうかというのもありましたが,特に私立大学の場合,校風や建学の精神などにも惹かれて入ってくる受験生もいるものです。仮に法曹の多様性確保ということを言うのであれば,少数だが特徴的なマニアックな受験生狙いの大学があってもいいはずで,一律に受験倍率で定員の多寡を判断するというのはいかがなものかという気もします。

どのような学生を募集し受け入れるかという大学教育の根幹に関わることについて「足きり」や「倍率」といった形で関与してくることは,大学の自治に対する介入と見てもよいのではないでしょうか。このような介入は本来,自由な教育・学問の場であるはずの大学を,法曹という専門職養成という公的意義付けをしてしまったために,招いてしまったものです。さっさと受験資格付与機関という軛を外すことが,法曹志望者のみならず,大学にとってもいいことなのではないでしょうか。