裁判員制度は未だに「試行」?2010年04月16日

高木剛前連合会長、佐藤幸治京都大学名誉教授らが法務大臣あてに提出した「法曹養成制度改革に関する提言」を見ている。 司法試験合格者3000人を未だ言い続けている点に関して調べてみようと思ってざっと見たら

2(2)「国内的課題」の「●裁判員」のところの記述に目がいった。そこには,

司法制度改革の柱の一つが、裁判員制度である。2009年5月から実施され、2009年末までに130件以上の裁判に、800人以上の国民が裁判員としてすでに参加している。この試みは、単に刑事司法制度の改革にとどまらず、わが国の民主主義の深化に重要な意義を持つ。国民がその責務を十全に果たせるような裁判のルールと運営を構築するとともに、国民に奉仕できる能力を持った法律家を養成することが喫緊の課題である。

との記載がなされている。

国民に奉仕できる能力を持った法律家,という場合の「国民」は,裁判員としての「責務」を担わされる「国民」と読むのが自然だろう。すると,弁護士や裁判官,検察官といった「法律家」は,裁判員に奉仕する存在ということになる。

提言者の中に刑事の専門家がいないので仕方がないのかも知れないが(でも憲法の中に刑事訴訟に関する条文があるのだから,佐藤教授がしっかりしていればこんな文章は書かないはずだが・・),弁護人として刑事訴訟に臨む際,裁判員への奉仕の心を忘れないようにしなければならないというのではたまらない。弁護人はあくまでも被告人のために最善をつくすべき存在であり,それ以上でも以下でもないはずだが。

それ以上に気になったのが,「この試み」という表現である。裁判員制度ってテストの段階だったのか?130件の刑事訴訟に国民が動員され,有罪の判決が被告人に対して下されてきているのが,テストにすぎないというのだろうか?

まあ,焦ってにわか作りで提出したものなのだろうが,それだけに提言者の人たちの上から目線と人権感覚の欠如が如実にあぶりだされた提言のように見えた。

コメント

_ 増田尚 ― 2010年04月16日 17時16分04秒

裁判員として刑事司法に参加することを「統治客体意識からの脱却」ととらえる佐藤幸治の発想からすれば、弁護人の役割を「国民への奉仕」とねじまげるのも、ある意味、当然のことと思われます。

_ ノムラ ― 2010年04月16日 17時50分36秒

>増田さん
裁判所は多数決による冷酷さから人権を救済する法原理機関という(趣旨だったと思う),佐藤幸治教授の教科書の記述には受験生時代悩まされたものだったのですが,こんなこと言うのならあんなこと書いて受験生を惑わせるな!という気がします。

_ h ― 2010年04月16日 22時42分13秒

なんだか,裁判員への奉仕というのは,あまり負担をかけずに適当にやることと決めつけているかのごとき文字列が並んでいますが,裁判員への奉仕と被告人のための最善は両立しないんですか?

_ ノムラ ― 2010年04月17日 09時07分35秒

>hさん
うーん,そんな決めつけはしたつもりもそのような文言も書いてないと思いますが。
裁判員の奉仕が最善の弁護活動と両立しないとも言ってはないですが,裁判員への奉仕活動が弁護活動にとって新たな負担となっていることは確かかと。裁判体の構成員が変わったことも含めて制度推進派からすればチャンスととらえるべきということになるのでしょうが,公判前整理手続による証拠提出の制限や短期集中の公判開催なども(権力側からの観点からとはいえ)裁判員への奉仕(長期間拘束しないため)の一環という
ことで考えた場合,奉仕名目で弁護活動が制約される度合いが余りにも大きすぎるという気がします。

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