尊厳死シンポジウムのお知らせ ― 2014年11月19日
第二東京弁護士会で以下のシンポジウムを開くことになりました。
尊厳死の問題点を考える
日時 2014年11月28日(金)午後6時~8時30分
場所 弁護士会館10階1003号室
講師 小松美彦氏(武蔵野大学教養教育学部教授)
参加費 無料
申込み 不要
主催 第二東京弁護士会
お問い合わせ先 第二東京弁護士会人権課
東京都千代田区霞が関1-1-3 http://niben.jp
電話 03-3581-2255
FAX 03-3581-3338
昨今、尊厳死の法制化の機運が強まっており、国会にいわゆる尊厳死法案が提出されることも十分あり得る状況となっています。このような現状において、尊厳死について、改めてその是非を含め検討したいと思います。
このたび、尊厳死をはじめとする人間の生と死に関する問題にご造詣が深い小松美彦先生をお招きします。先生にご講演を頂くとともに、法律のみならず、哲学、倫理学、経済学を含めた様々な観点から、時間の許す限り、尊厳死に関する問題点を、先生と、当会人権擁護委員会の精神医療・高度先端医療に関する部会メンバーとの対話や質疑応答を通じて掘り下げる予定です。
皆様のご参加をお待ちしております。
講師略歴
小松美彦氏
1955年、東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科・科学史科学基礎論博士課程単位取得退学。
玉川大学助教授、東京海洋大学大学院教授などを経て、2013年より武蔵野大学教養教育部会教授。
専攻は、科学史・科学論、生命倫理学。人間の生と死をめぐる問題を主に歴史的な視座から研究し、
特に脳死・臓器移植や安楽死・尊厳死の問題に対しては積極的に取り組み、発言を続けている。
著書に、『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書、2004)、『生権力の歴史-脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって-』(青土社、2012)、『生を肯定する いのちの弁別にあらがうために』(青土社、2013)など。
臓器移植法「改正」~生命がネガティブ・オプションの対象になったが ― 2009年07月14日
臓器移植法「改正」法が成立しましたね。
あらかじめ拒否の意思を示しておかない限り「脳死」の状態で臓器が摘出されることになったわけです。
これまでは生きていたとして扱われていた命が,あらかじめ拒絶の意思を示さないと奪われてしまうわけで,まさに命についてネガティブ・オプションの仕組みが導入されたと言えるでしょう。
このネガティブ・オプション,まさに人の生き死ににかかわるものですから,市民の生命に対する権利の保障を十全なものにするため,「脳死」状態での提供拒否の意思表示の仕組みを政府は周知徹底させるべきではないでしょうか。
今のままでは,「脳死」はまだ死ではないと考えている人が,提供拒否のためには拒絶の意思表示が必要であることをしらないまま「脳死」判定さらには臓器移植をされてしまうという事態が頻発するおそれがあります。これは生命に対する権利の重大な侵害であり,放置しておいてよいものではないでしょう。
臓器移植法「改正」論議について思う ― 2009年04月22日
WHOで海外での臓器移植が規制されそうだということをきっかけに,臓器移植法「改正」に向けた動きが急になっている。
海外でできなくなるから日本でできるようにしよう,ということらしい。「改正」案については特に,日本では子どもからの移植が禁止されていることとの関係で,子どもを救えないという親の声がよく報道されている。
この点に関してメディアは,
また、首相は与党が今国会で採決する方針を固めた、子供への臓器提供機会の拡大を目指す臓器移植法改正案について、重要法案と位置づけ、成立を図るよう指示。会談では、海賊対処法案や年金関連3法案なども早期に成立させる方針で一致した。
等と報道している。しかし,今回の臓器移植法「改正」案(A案)が法文上目指しているのは,子ども「から」の臓器提供機会の拡大である。臓器を「提供する」人(「改正」案A案によれば人ではなくなっているものだが)の数を増やそうという目的から,法的にドナーとすることのできる人の範囲を子どもにも広げるのであって,法律上広げられるのはあくまでも子ども「から」の臓器提供機会の拡大なのである。
臓器を提供させられることとなる子どもからの視点が欠けているといわざるをえない。
ところで,「脳死」という概念自体,あたかも「脳死」状態に陥った人が全体死に至ることが間近かつ必至であるかのような概念で,ミスリーディングなものである。
国会の委員会の参考人質疑においても,「脳死」といわれた後長期間生存した事例や,自発呼吸が再開した事例が報告されているのだから,メディアは脳死者と呼ばれる人がどのような状態にあるのか,ラザロ徴候といわれるものがどのようなものなのか,報道すべきだ。
「脳死」と呼ばれる人の実態については,小松美彦教授の「脳死・臓器移植の本当の話」に詳しく書かれている。この問題について報道するメディアや,法案について審議採決する国会議員は,この本を一度熟読してから審議・採決に望むべきではないだろう。
今回の「改正」法案審議,海外に渡って移植を受けることができなくなるから日本でもできるようにしようという目的のようであるが,そもそも,日本でやってはいけないことは海外でもやってはいけないことなのであって,海外へ渡航しての臓器移植自体についても,日本同様の規制をクリアしたものだけが認められるべきとすべきで,それに違反した人は国外犯処罰規定による刑事罰の対象とすべきだったのではないのだろうか。
今回,法の「改正」の可否については
人を法律上死んだことにしてまで臓器移植がやりたい(臓器がほしい)人たち
の願い(欲望)を,自発呼吸再開の可能性があり,身体も動き,暖かみのある人の命を奪ってまでかなえるのかどうか,ということが問われているのだ,ということがもっと認識されるべきように思う。
代理出産~やはりイエの圧力がかかってくるのだ ― 2008年04月06日
Newsweek誌の記事を取り扱おうと思ったが,ショッキングな事実が出てきてしまったのでこちらから。
代理出産:15組が実施、8組から10人誕生--根津医師公表(毎日.jp)
諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(ねつやひろ)院長は4日、これまでに15組が代理出産を試みたことを同クリニックのホームページで公表した。4組は妊娠せず11組が妊娠。3組は流産、8組が出産し、10人が誕生したという。代理出産に関しては3月、日本学術会議の検討委員会(鴨下重彦委員長)が法律で原則禁止し、公的機関の管理下での試行を容認する報告書案をまとめている。
ホームページによると、代理出産について、約100組から相談を受けた。実施した15組の依頼女性をみると、6人は生まれつき子宮がないか小さいケース、9人は子宮筋腫、子宮体がんなどで子宮を摘出していた。出産を引き受けた女性(代理母)は▽実母5人▽実の姉妹3人▽義理の姉妹7人。年齢は34歳以下が5人、35歳以上10人。55歳以上も4人含まれている。
根津院長は「『代理出産の条件付き容認、悪用する者へは刑事罰』(根津私案)という基本の下で、さらに症例数を増やしながら議論していくべきだ」としている。【大場あい】
毎日新聞 2008年4月5日 東京朝刊
「実施」した15組について代理母になった人をみると,一番多いのが「義理の姉妹」というのは,単純に親族間の情誼からくる美談とは言えないだろう。
義理の姉妹ということは,代理母の側から見た場合,(1)自分の夫の姉妹夫婦のために生むケース,(2)自分の兄弟とその妻のために生むケース,(3)自分の夫の兄弟の妻に代わって生むケースが考えられる。
いずれにしても,「依頼女性」(その夫の存在が無視されているので,このような言い方はいかがなものかと思う。)と代理母との間を結びつける存在として,「夫」や「兄弟」といった男性が存在している。
この点については,男性中心のイエ制度の保持のためではないかという疑念を強く感じる。フェミニストの研究者によく研究してほしい。
ところで,上記記事で触れられている,根津医師の診療所の「ホームページ(「当院の代理出産から考えること」--当院における代理出産のご報告--)」を見てみたが,この医師,とんでもないことをしているといわざるをえない。
上記ウエブページには,「実母による代理出産をされた方の声」として,自分の夫の子を自分の実母に妊娠・出産させた女性の声が掲載されている。この女性は,生まれつき子宮に欠損があるため子どもを産めない身体であったが,そのことを理解してくれる現在の夫に出会い,結婚するに至った。しかし,そのような彼のために子どもがほしいと願い,向井亜紀・高田延彦夫妻についてのニュースを見たのをきっかけに代理出産を希望するに至る。彼女が実母に出産してもらうまでに至る経緯は以下の引用のとおりだ。
私は向井さんと同様、代理母出産を望みました。夫と話し合い、当初はアメリカでの代理母出産を考えていました。そのような時にインターネットで諏訪マタニティークリニックを知り、根津先生が近親者を代理母とするならば、代理母出産を行っていることを知ったのです。すがる思いで、すぐにお電話させて頂きました。先生の、「あなたのお母さんに手伝ってもらいなさい。」との一言で、私は電話口で声を出して泣いてしまいました。これまでの子供が産めないという苦しみや夫や夫のご両親への引け目が先生の一言で少し救われた気持ちになったからです。この先生の言葉を母に伝えると、母は快く引き受けてくれました。そこで、クリニックへは私と夫、そして私の両親の4人で受診しました。そこで、根津先生からの提案について、私たちはもう一度よく話し合い、私と主人の受精卵を母の子宮に戻すことを決めました。そして、数回目の試みで、母の体に新しい命が宿りました。それを聞き私たち家族は泣いて喜びました。それから出産に至るまでの間、私は母とともに生活しながらその日を待ちました。そして待望の出産、私は涙が止まらず我が子をまともに見ることができませんでした。ただただ先生をはじめ、温かく見守り続けてくれた諏訪マタニティークリニックのスタッフの方に対する感謝の気持ちと、何より頑張ってくれた母に対して感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
「あなたのお母さんに手伝ってもらいなさい。」って,根津医師,母親に代理母になってもらうよう慫慂しているではないか。しかも「手伝って」などと,出産の主役が依頼者であるかのような表現を使って。現実は,依頼を受けた実母自身が危険を冒して出産するのであって,「手伝」うなどという生やさしい行為を依頼するのではないのに。上記のような根津医師の言い方は,依頼者を,代理母の負担に思いを寄せることから遠ざけるものであり,代理出産をより「気楽」に依頼できるようにしようとするものであって,代理母の依頼を受ける実母の生命に対する配慮のかけらもないものだ。まあ,根津医師自身,上記ウエブページに付された資料の末尾で,
2 実母が代理母となる利点
として,
1.娘の為に子供を産む、というところから意識がスタートしているため、依頼時には既に様々な事柄に対する覚悟が出来ている。
2.出産した子供=孫になる為、子供の受け渡しに関しトラブルは起きない(障害児が例え生まれた場合も含め)
3.代理母である実母も実父も、実の娘のためという意識下で行うため、家族間における妊娠中・産後の不都合に対する不満は起きにくい。また代理母妊娠中に依頼者が生活を共にすることも親子間であることから行いやすく、代理母の家族と依頼者の家族が密接に関わることができる。
4.妊娠出産経験者であり健康体であるため、一般の不妊治療を行っている方より高齢であっても妊娠出産率が高いものと考える。
などと,母親であれば娘のため,孫を手にするためと思っていろいろと我慢してくれることを挙げているぐらいだから,上記のような発言がなされたとしても不自然ではないが。
特に,前述の,「声」が掲載されている女性の場合,
先天的に子宮の欠損があるこの診断に両親は驚愕し、ただ泣いていました。
というのだから,子どもがそのような症状を持って生まれてきたことについて母親は責任を感じていただろうと推測できる。このように責任を感じている母親が娘から「手伝って」と言われて,そう簡単に断れるのだろうか。娘が子どもを産めないのは自分のせいだという強迫観念から,断れなくなるだろう。代理出産推進者の根津医師はそのような状況を見越して前記のような「手伝い」発言をしたのだろう。
それにしても「様々な事柄に対する覚悟が出来ている」ことを利点に挙げるって,(繰り返しになるが)代理母となる女性の身体を危険にさらすことについてきちんと配慮しているのか疑問を抱かざるをえない。実際に「マタニティ」ドレスを着用し,出産するのは代理母となる人なのだが,この医師の目には代理出産を依頼する人のことしか目に見えていないのではないか。
根津医師の報告ページはこのほかにも突っ込みどころ満載なのだが,新聞記事で引用された箇所との関係で,あと1,2点のみ触れておく。
新聞記事では15組が試行しそのうち8組が出産,10人が誕生したとされている。これだけ読むと,成功率が15分の8とは高いではないかとの感を持つだろう。私も持った。
しかし,報告によれば,
代理出産に挑戦した15例に37回のET(戻し)をして、11例に妊娠、即ち体外受精(IVF・ET)妊娠率29.7%、8例に生児を、即ち、体外受精出産立(ママ)21.6%(体外受精妊娠率30.4%、分娩率19.2%、日本産科婦人科学会調べ)でした。
ということなのであり,一般的な体外受精に比べ低いとはいえないものの,受精卵移植が成功した場合でも出産率は2割強にすぎない。つまり8割のケースでは,代理母に負担をかけながら「成果」を得られずに終わっているのだ。そして,15例に37回の戻しをしているというのだから,1症例当たり平均2回以上のET(戻し)をしている計算になる。こうしたETを行うについての負担はどの程度のものなのだろうか。マスコミは,こうしたことについてもきちんと伝えるべきではないだろうか。そこまで行かなくとも,ghanajapanさんが触れられているような,流産時の負担などについては気づいてしかるべきだろう。
根津医師は,報告の最後で
ボランティアによる代理出産も今後の課題であると考えております。これに関しては、代理出産禁止の条件となっている、妊娠・出産における危険性を無視して考えることは出来ません。すなわち、いつ何時代理母が死亡したり後遺症を残すような重篤な疾患に陥るかも分かりません。例え危険を承知でのボランティアとは言え、その場合の保障制度、トラブル化した場合の対応策を考えてからでなければ、ボランティアにより代理出産は簡単にスタートすべきではないと考えます。
今回はそのような場合にも当事者間だけで問題解決が可能な身内での代理出産、すなわち兄弟姉妹間、親子間のケースに関する実例報告をさせて頂きました。
と述べている。
身内での代理出産であれば当事者間だけで問題解決が可能というのは,親族間の争いを日常的に処理する立場からすると,楽観的にすぎるといわざるをえない。問題が起こらないとすれば,それは,実害を受けた者の側(夫や子どもを含めて)が,圧力に負けて泣き寝入りをしたということではないだろうか。
根津医師の上記のような考え方には,kurokuragawaさんの予想されるような事態が,むしろ当然の前提として組み込まれているのではないだろうか。
依頼時に加え,問題解決時に圧力がかかる,親族間での代理出産。仮に代理出産の「試行」が認められるとしても,親族間での代理出産は絶対に認めてはならないだろう。
代理出産が認められている国の実情は? ― 2008年04月04日
【ニューヨーク1日時事】3月31日発売の米誌ニューズウィーク最新号は、第三者の子供を産む代理母に、軍人を夫に持つ女性が志願するケースが急増していると報じた。夫が戦地に赴いている間を利用できることなどが理由。テキサス州やカリフォルニア州では、代理母の半数を「軍人の妻」が占めるという。
同誌によれば、不妊に悩む夫婦らに代わって妊娠・出産に臨む代理母への報酬は、2万-2万5000ドル(約200万-250万円)。これに対し、新兵の年間基本給は最高で約2万9000ドル(約290万円)だ。転勤が多い米兵の妻が定職に就いてキャリアを築くのは困難だが、代理出産であれば家計に大きく寄与できる。
年間290万円の給与で軍人という危険な任務に就く人がいるのも驚きだが,代理母になる人には貧困者が多いという実態を思い知らされる。
妊娠・出産には現在でも死の危険が伴うわけで,軍人とその妻はいずれもその身を殊更に危険にさらす業務に,しかも高いとはいえない報酬(十月十日で200~250万円という収入より低い収入の代理出産依頼者(カップル)というのはまれであろう。)で就くことを余儀なくされている。
このような社会が妥当なのかどうか,代理出産を肯定する論者にはよく考えてほしいものだ。
一方,営利目的での代理出産を禁じさえすればいいのではないかというと,そうも言えない。
以下はむささびさんの記事経由で知ったものだが,英国の実態をよく知らせてくれていると思う反面,この記者の姿勢には疑問を感じざるを得ないものがある。
去年秋から今年の春にかけて英国の「代理母制度」を取材しました。英国では90年以降、手続きさえすれば、代理出産で生まれた子供を「実子」とすることが認められています。
いきなりですが、代理出産で産まれた子供を見たことありますか?
ということで、訪ねました。
こちらはオリバー君とアリスちゃん、15歳の双子です。
(年齢が、いかに前から制度があるかを物語っています)
「母は1人で混乱はないんだよね」「生まれてよかったです」の言葉に、どっきりしました。
高校に通う彼らは、授業で代理出産についてプレゼンテーションをしたりしているそうです。
代理出産のうちホスト・マザーと呼ばれる形態(日本で話題となったタレント夫婦もこの事例)では,体外受精によりできた胚を代理出産者の子宮に着床させて懐胎させる。その際,成功率を高めるために,一度に複数の胚を入れることがある。つまり,人為的に多胎の状況を作り出すのだ。上記の双子もそのようにして生まれてきたのだろう。 双子の妊娠・出産は一人の子どもの妊娠・出産よりも母体に負担をかけるものだ。子どもをほしいと望む夫婦自身が多胎による危険に自らをさらすのならまだしも,このような危険を第三者に受けさせることが果たして妥当なのだろうか。
記事は次に,代理出産を依頼して子どもを得た女性の話へと続く。
「とにかく代理出産で肝心なのは、代理母との信頼関係だ」とのこと。
過去の例では、10か月もお腹の中に居た子供を手放したくないと気持ちの変わる代理母も居て裁判になったりしています。・・・・いくら進んでいるとはいえ、産んだ女性が最初の段階で、母親であることには争いはありません。
出産後に手続きをするわけですが、それは当人同士の信頼関係でやるもの。法的義務はないため、余計に2人の間の関係が大事なのです。
リンダさんは、友人関係を続ける努力をしたといいます。
イギリスでも,出産と同時に依頼者が母親となるものではない,ということだ。このことは,遺伝子が依頼者のものだから依頼者夫婦との間の親子関係を直ちに認めるべきだ,とする人たちには特に強調しておきたい。
それにしても,子どもを引き取らせてもらえるために続ける努力をする友人関係って,いかがなものなんだろう?
彼女が話した言葉の重みは、代理出産を支援する団体の会合に通うと、さらに実感できました。
中に、涙ぐむ女性が居ました。彼女は、「代理母」の側でした。
妊娠したわけでもないのに、代理出産をするためには薬を飲んだりして、体調が悪いのだといいます。
さらに、「困っている旦那の親戚に依頼されたから断れなかった」、「でも旦那は複雑な表情をする」・・・そう話し、いかに大変な作業かを語ってくれました。
他にも「人生で自分の出産より遥かに大変だった」という人も居ました。
英国は日本に比べるとイエ制度の縛りなどが薄いと思っていたが,それでもやはり,「旦那の親戚」からの依頼となると断れないものなのか。 日本ではイエによる圧力が更に強力なものとしてかかってくるのではないだろうか。代理出産の「試行」を仮に認めるとしても,親族間での腹の貸し借りは認めるべきでないだろう。
それにしても,「旦那」っていう訳,ジェンダー的に問題あるのでは?何で「夫」と訳さなかったのだろう?
営利目的でない代理出産というが,対価無しに他人のために妊娠・出産のリスクを冒す他人ってどんな人なんだろうか。結局,親族などの関係にある人が周りの圧力から引き受ける場合くらいしか考えられないのではないか。現に,代理出産を日本で手がけている根津医師が呼びかけたボランティアも,代理出産に伴う危険性を告知された途端応募者がゼロになったではないか。
非営利での代理出産についても,周囲の圧力が働く危険が大きいということを考えれば,禁止すべきであろう。
ところで上記の日本テレビの記事,取材はなかなかよくできていると思うのだが,評価の部分になると以下のように,代理出産依頼者の側に偏った見方になるのが残念だ。
英国の代理出産制度は進んでいるといわれていますが、それでも多くの問題点や悩みを抱えていると感じました。
1)依頼する側と依頼される側の間に法的拘束力はなくトラブルになる可能性が残っていること
2)補助制度が整っていない など・・・まだ不備があります。
依頼される側に対する拘束力を課すのがよいとでも思っているのだろうか。十月十日にわたって体内で育んできた子どもを引き渡さなければならない代理出産者の気持ちには心が及ばないのだろうか?
また、アメリカと違って「商業主義」を禁止しているからこそ、
「必要経費」以外は負担しなくてよいとされていますが、
完全に依頼者目線だな。
こうしたことは日本では、まだまだ先のことかもしれません。法律や制度も違います。
ただ、代理出産で生まれた子供、代理母、依頼した母、の3者の「笑顔」を見て感じたこと;
それは素朴に同じ女性として、「選択肢」があるのはいいことではないか、ということでした。
冒頭で挙げた米国発の記事など見ると,代理母は,「選択肢」が与えられている者というよりもむしろ,依頼者に,代理懐胎の依頼という「選択肢」を提供させられている者ではないか。この記事を書いた記者は,自分や家族が貧困や家族の圧力によって「選択肢」を提供させられる側に回るということは考えないのだろうか。
代理出産については,メディアの報道では子どもを持てない女性の立場からのものが目立つように感じる。しかし実際に代理出産を行う人の立場はどのようなものか,なぜ代理出産を引き受けるようになるのか,といった観点からの報道がきちんとなされていくべきではないだろうか。
ここまで書いてきた後,冒頭の時事通信の基となったNewsweekの記事を見つけた。
The Curious Lives of Surrogates
ウエブ上の翻訳で大意をつかむことができたので,このニュースウイーク記事本体についても別項を立てて触れようと思う。
家族同意で延命中止も 学術会議、終末期医療に提言 ― 2008年02月22日
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20080216-OYT8T00208.htm
病気の悪化で死を免れなくなった患者に対する医療のあり方を検討していた、日本学術会議の「臨床医学委員会終末期医療分科会」(委員長=垣添忠生・国立がんセンター名誉総長)は15日、報告書を公表した。
学術会議は1994年の「死と医療特別委員会報告」で「患者の意思が不明な時は、延命治療の中止は認めるべきではない」としていたが、今回、昨年5月に国が示した「終末期医療に関する指針」を追認するかたちで、家族による患者の意思の推定を認めた。
報告書では、患者の意思が確認できないまま、家族から延命治療の中止を求められた際の対応について、詳しく記述。▽家族全員の意思が一致しているか▽中止を求める理由は何か――などを、様々な職種で構成する医療チームが繰り返し確認、記録すべきだとした。
学術会議の報告は以下のところにあります(PDF)
患者の意思が確認できない場合,家族の同意で延命治療を中止できる場合を認めるっていうことは,患者の真意に反して患者が死に至らしめられる可能性を認めるということです。患者の自己決定権はどこにいったのでしょうか。
また,延命治療っていう言葉自体,単に命を延ばしているだけという響きを持たせる言葉で,そのような言葉を使うことの妥当性についても慎重に検討されてしかるべきようにも思います。
第二東京弁護士会人権擁護委員会の「「終末期医療に関するガイドライン(たたき台)」に関する意見書」
提供卵子を使い体外受精、不妊治療の団体が実施へ ― 2008年02月20日
卵子提供者の負担についてはどう考えているのでしょうか?
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080220-OYT1T00024.htm
全国21の不妊治療施設で作る「日本生殖補助医療標準化機関(JISART)」は19日、友人や姉妹から提供された卵子を使う体外受精を独自のルールに基づいて進める方針を固めた。
すでに同機関の倫理委員会で承認されている2例をまず実施し、その後も独自の指針を策定して実施していく。3月1日の理事会で正式決定する。
卵子提供による不妊治療は、卵巣を失ったり機能が低下した女性でも妊娠が可能になるため、海外でも米国を中心に広く行われており、多数の日本人が海外で卵子の提供を受けている。国内では、長野県の根津八紘医師が110例以上の実施を公表しているが、法整備の遅れなどもあって、一般的にはなっていない。
同機関は昨年6月、日本産科婦人科学会や厚生労働省に対し、卵子提供による不妊治療の実施を承認するよう申し入れた。これに対し同学会は、生殖補助医療のルール作りを昨年から検討している日本学術会議の結論が出るまでは実施を見送るよう要請し、同機関もそれを了承した。
ところが、学術会議の検討は代理出産の是非が中心で、それより希望患者数が多い卵子提供についてはほとんど審議されなかった。19日に提示された報告書案にも盛り込まれなかったため、「『ノー』というサインはない」(高橋克彦理事長)と独自に実施する方針を固めた。2例は、いずれも卵子提供以外に妊娠の可能性がない夫婦。それぞれ子を持つ友人と姉妹から卵子提供を受ける。
JISARTの方針について、同学会の星合昊(ひろし)倫理委員長は「第三者の卵子提供を明確に禁止しているわけではない」とし、「体外受精は夫婦間に限る」とする会告の違反には当たらないとの見解を示している。
提供卵子の採取は,本来そのままの形では外に出ることのない卵子を強制的に外に排出するという不自然な行為であり,排卵促進剤による副作用などにより,女性の身体に負担をかけるものです。不妊の女性の要望に応えるためという名目で,夫婦以外の第三者に負担をかけることを安易に認めてよいとは思えません。
日本生殖補助医療標準化機関(JISART)のサイトを見てみました。
その設立の趣旨には,
JISART はわが国の生殖補助医療専門施設の団体で、品質管理システムを導入することで生殖補助医療の質向上を目的とし、究極の目標は患者満足を高めることである。
と書かれています。あくまでも患者満足の向上が趣旨とされ,精子や卵子,胚を提供する者への配慮は見られません。
また,JISARTの実施規定(PDF)にも,精子や胚の提供者の健康等に配慮した規定は見られません(患者に対する関係の基準ということからすれば当然なのかもしれませんが)。
このような団体を構成している医療機関に,卵子提供による生殖補助医療を認めてよいのか疑問を感じます。
上記記事では卵子を提供する女性について,「子を持つ友人や姉妹」とされています。しかし,今後仮に卵子提供による体外受精が認められた場合,友人が提供する場合はまれで,実際には親族による圧力から,姉妹(等の親族)による提供が半ば強制されることになるのではないでしょうか。この点は,学術会議の検討委員会が,代理出産について営利非営利問わず禁止する理由として「強制と勧誘のおそれ」を挙げていたことが当てはまるように思います。
卵子提供による体外受精についても,代理出産同様禁止すべきであり,両者を包括した,生殖補助医療に関する規制法を早急に作るべきでしょう。
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