裁判員制度~施行日が来ても凍結を諦めるのは早いのでは?2009年05月20日

裁判員制度の施行日を明日に控え,裁判員制度を問い直す議員連盟が,裁判員制度の凍結法案提出を諦め,法改正をめざす方向に舵を切るようです。

議連が裁判員凍結法を断念、法改正目指す

裁判員制度に批判的な超党派の国会議員でつくる「裁判員制度を問い直す議員連盟」(代表世話人・亀井久興国民新党幹事長)は19日、国会内で役員会を開き、21日の制度開始を凍結する法案提出の断念を決めた。

議連は今後、裁判員が守秘義務に違反した場合の罰則の軽減などを盛り込んだ裁判員法改正案の提出を目指す。21日に国会内で総会を開き、正式に今後の活動方針を決定する。(共同)

明日から施行といっても,明日以降起訴される事件について裁判員裁判が行われるようになるということであり,裁判員による裁判が行われる事件については必ず公判前整理手続が開かれることとなっていますから,裁判員が出廷する公判が開かれるまでにはまだ間があります。とりあえず問題点が解決するまでは実施を凍結というのであれば,やはり凍結法(施行日をすぎたので施行停止法か?)の制定に向けた動きを進めるべきでしょう。

議連は法改正を目指すようですが,議連でかつて出された12の論点について全て解決できるような改正案を通すことができるというのでしょうか?被告人の選択権や,裁判員候補者の思想・信条を理由とした辞退,評議の多数決を全員一致とするといった「改正」がなされれば画期的ではありますが,そのような「改正」は制度趣旨(被告人のためではない,国民の規範意識の直截の反映)に反し,見込みが無い以上,制度自体の施行停止を行うしかないように思います。

というわけで,施行日は明日ですが,今晩,裁判員制度廃止に向けたデモに参加してきます。→こちら

深夜3時の公園で全裸になることの可罰性は?2009年04月23日

タレントが,深夜に公園で全裸になって声を上げていたということで,公然わいせつの被疑事実で逮捕されましたね。

記事によれば警察に通報があったのは午前2時55分との由。草木も眠る丑三つ時,からはちょっとずれていますが,深夜であることは変わりありません。

公然わいせつ罪というのは,公衆の性的羞恥心を害する罪であり,不特定又は多数人がわいせつ行為を認識する可能性があれば成立するとされていますが,ちょっとでも可能性があれば成立するものではありません。刑罰の対象となる行為と言えるためにはそれなりの可能性が必要で,「例えば,人が通行する可能性もほとんどない浜辺や早朝の道路・公園等で全裸になる行為は本罪に該当しないと解すべきだろう」(前田雅英・刑法各論講義(初版)483頁)とされています。

逮捕現場の公園をグーグルマップで検索した結果はこちらです。ミッドタウンに隣接と記事には出ているけど,結構大きな公園です。公園内のどこにいたかによっても,公衆の性的羞恥心を害する可能性の程度はだいぶ違ったものになるのではないでしょうか(この辺りは六本木に居住ないし職場を構えられている方にお聞きしたいものです。)。さらに,youtubeで流されていたテレビ報道によれば,現場は深夜は人通りのほとんどないところであり,しかも当該タレントは,警官がかけつけた時は芝生の上であぐらをくんでいたというのです。そうすると,公衆の性的羞恥心を害する可能性の程度はかなり低いもので,上記の引用のように,「本罪(公然わいせつ罪)に該当しない」とされる可能性も否定できないような気もします。そうだとすると,当該タレントが言ったと報道されている「裸になって何が悪い」というのも,まんざらおかしくはないのではないでしょうか。

加えて,記事によれば男性からの通報も「酔っぱらいが騒いでいる」というものであり,裸だから何とかしてくれというものではなかったようですから,公然わいせつ罪として逮捕するほどの違法性があるものだったかどうか疑問が残ります。

まあ,公然わいせつ罪が厳密には成立しないとしても,人質司法の現状を考えた場合,全裸でいたことが事実であるならば,形式的に有罪とされてしまう可能性もあるので,反省の意を示して釈放してもらう方向で動くのが「賢明」なのかも知れません。しかし,マスメディアが,全裸でいたことが即犯罪を構成するかのように大々的に騒ぐのってどうかと思います。

リンク

弁護士落合洋司の「日々是好日」

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)

臓器移植法「改正」論議について思う2009年04月22日

WHOで海外での臓器移植が規制されそうだということをきっかけに,臓器移植法「改正」に向けた動きが急になっている。

海外でできなくなるから日本でできるようにしよう,ということらしい。「改正」案については特に,日本では子どもからの移植が禁止されていることとの関係で,子どもを救えないという親の声がよく報道されている。

この点に関してメディアは,

また、首相は与党が今国会で採決する方針を固めた、子供への臓器提供機会の拡大を目指す臓器移植法改正案について、重要法案と位置づけ、成立を図るよう指示。会談では、海賊対処法案や年金関連3法案なども早期に成立させる方針で一致した。

麻生首相:補正予算案などの早期成立を指示毎日.jp

等と報道している。しかし,今回の臓器移植法「改正」案(A案)が法文上目指しているのは,子ども「から」の臓器提供機会の拡大である。臓器を「提供する」人(「改正」案A案によれば人ではなくなっているものだが)の数を増やそうという目的から,法的にドナーとすることのできる人の範囲を子どもにも広げるのであって,法律上広げられるのはあくまでも子ども「から」の臓器提供機会の拡大なのである。

臓器を提供させられることとなる子どもからの視点が欠けているといわざるをえない。

ところで,「脳死」という概念自体,あたかも「脳死」状態に陥った人が全体死に至ることが間近かつ必至であるかのような概念で,ミスリーディングなものである。

国会の委員会の参考人質疑においても,「脳死」といわれた後長期間生存した事例や,自発呼吸が再開した事例が報告されているのだから,メディアは脳死者と呼ばれる人がどのような状態にあるのか,ラザロ徴候といわれるものがどのようなものなのか,報道すべきだ。

「脳死」と呼ばれる人の実態については,小松美彦教授の「脳死・臓器移植の本当の話」に詳しく書かれている。この問題について報道するメディアや,法案について審議採決する国会議員は,この本を一度熟読してから審議・採決に望むべきではないだろう。

今回の「改正」法案審議,海外に渡って移植を受けることができなくなるから日本でもできるようにしようという目的のようであるが,そもそも,日本でやってはいけないことは海外でもやってはいけないことなのであって,海外へ渡航しての臓器移植自体についても,日本同様の規制をクリアしたものだけが認められるべきとすべきで,それに違反した人は国外犯処罰規定による刑事罰の対象とすべきだったのではないのだろうか。

今回,法の「改正」の可否については

人を法律上死んだことにしてまで臓器移植がやりたい(臓器がほしい)人たち

の願い(欲望)を,自発呼吸再開の可能性があり,身体も動き,暖かみのある人の命を奪ってまでかなえるのかどうか,ということが問われているのだ,ということがもっと認識されるべきように思う。

女性検事どんどん増える 実力勝負、特捜でも存在感2009年04月19日

隔世の感がありますね・・・。

http://www.asahi.com/national/update/0417/TKY200904170009.html

ボ2ネタ経由で知りました。)

法務省によると、検事に占める女性の割合は、95年は5.7%で、法曹三者で最低だった。だが08年には17.2%に急上昇。裁判官の15.4%、弁護士の14.4%を上回った。

司法試験合格者に占める女性の割合は、ここ10年ほどは25%前後だが、検事任官者では00年に18%だった女性の割合が、08年に34%となった。女性検事正も現在、富山と松江の2地検にいる。

私が司法修習を修了したのがまさに2000年10月でしたが,その時には女性の検察官採用については司法研修所の各クラス1名に限る(例外的に2名)という「女性枠」が存在していました。修習生有志で「検察官任官における『女性枠』を考える53期修習生の会」が作られ,研修所当局への申入れや,国会議員,弁護士会などへの働きかけをしていました。

この問題については日弁連も前向きに対応してくれ,当時の法務大臣に対する要望書を出してくれたりしました。メディアでも取り上げられたこともあり,翌54期には14クラスから20名の女性検察官が採用されるなど変化の兆しは現れていましたが,ここまでに至るとは隔世の感があります。国レベルでは男女共同参画が方針として決められていることも影響しているのかもしれません。いずれにせよ運動はやってみるものですね・・・。

死刑~他人が死神に取り憑かれるのを望まないような仕組み作りこそ2008年06月25日

権力者への揶揄を自らへの批判として考えるのも危険だと思うんですけどねえ・・

朝日「死に神」報道:犯罪被害者の会が抗議毎日.JP

死刑執行の件数を巡り、朝日新聞18日付夕刊1面のコラム「素粒子」が鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した問題で、全国犯罪被害者の会(あすの会)は25日、朝日新聞社に趣旨の説明を求める抗議文を送付した。

文書は「感情を逆なでされる苦痛を受けた。犯罪被害者遺族が死刑を望むことすら悪いというメッセージを国民に与えかねない」と抗議した上で、「法相の死刑執行数がなぜ問題になるのか」などと回答を求めている。

犯罪被害者(というか,多くはその遺族)が加害者に対して死刑を望む気持ちは,理解できなくもありません。

しかし,死刑を望むっていうことは,死刑囚(判決確定前は被告人)に死に神が取り憑くことを望むということです。

死に神が人を死に至らしめる決定権を有するものだとすれば,法務大臣は死刑を執行することで死刑囚を死なせるかどうかを最終的に判断する立場にあるのですから,「死に神」としての役割を果たす者と言えるでしょう(参考:死神の仕事同(2)玄倉側の岸辺))。

つまり,犯罪被害者が加害者に死刑を望むことは,法務大臣に死に神としての役割を果たすことを望むということです。

そのこと自体,前述のように,犯罪被害者(の遺族)の気持ちとしては,無理からぬところがあり,単純に善悪は論じ得ません。

ただ,人に死に神としての役割を果たすよう望んでいること自体は事実なのであり,そう言われること自体がいやなのであれば,そのような望みを抱き続けずに済むにはどうすればよいのか,ということも考えられてよいように思います。

とはいえ,犯罪被害者(の遺族)自身にそれを考えろというのは酷でしょうから,社会全体で,犯罪被害者(の遺族)が加害者に死に神の取り憑くことを望まなくても済むような仕組みを作っていくことが必要ではないでしょうか。

この点は前にも,行政サービスとしての人殺しを求める人たちを生むもの破棄差戻判決が捨て去ったもので述べたところですが,カウンセリングや,被害者(遺族)の生活保障制度の充実などにより,対処していくべき問題のように感じます。

ところで,引用記事で最も気になったのは,犯罪被害者の会が鳩山法相に対する風刺を自分たちへの批判ととらえていることです。権力による死刑執行と,犯罪被害者(の遺族)が死刑を望む気持ちは別物であるにもかかわらず,です。権力への風刺を自分たちへの批判ととらえるのって,自分たちを権力と一体化して考えているような感じで,まさに司法制度改革審議会意見書のいう「統治主体意識」の貫徹した人たちという感じを受けます。でも,市民は国家権力にとってあくまでも統治の客体(対象)なのであって自分たちが実際に権力を振るう者であるという「統治主体意識」は所詮意識=幻想にすぎません。統治主体意識に酔っていると,結局は権力のいいように使われて捨てられる可能性も大な点にも留意すべきでしょう。

グリーンピースメンバー逮捕で問われる日本の人質司法2008年06月21日

調査捕鯨で捕られた鯨肉の横領を告発しようとして,運送会社の倉庫にあった鯨肉を持ち出したグリーンピースのメンバーが逮捕されましたね。

この逮捕,ヤメ蚊さんのブログによれば,

逮捕当日、新宿署に事情を説明するために出頭をすることにしていたところ、その直前に任意での事情聴取の機会もないままに逮捕されました。

というのだから,逮捕の要件である証拠隠滅のおそれなどがあったのかどうかそもそも疑問です。

ところで,彼らに窃盗罪が成立するかどうかについては,いわゆる不法領得の意思の有無が問題になります。盗った物からの経済的効用を受けようとして行う犯罪は,誘惑的要素が強いために,強く禁圧すべきであるというのが,窃盗罪を器物損壊罪よりも重く処罰する理由であって,したがって,窃盗罪と器物損壊罪の区別のために,物の経済的用法に従い利用処分する意思が窃盗罪の成立には必要とされるのです(不法領得の意思にはもう1要素あるのですが,本件とは関係がないと思うので省きます。)。

この不法領得の意思,故意と同じように人の内心(主観)ですから,単純に考えると,直接に基礎付ける証拠としてまず考えられるのが自白です(もちろん,客観的事情からも裏付けられるんでしょうが・・)。

おそらく,権力側は,この逮捕によって,国策に抵抗するとどうなるかという威嚇をするとともに(逮捕したのが警視庁の公安部であることはこのことの証ではないでしょうか?),今後,不法領得の意思の有無についての自白を得ようとしていくものと思われます。

しかし逮捕勾留は本来自白獲得のために行われるべきものではありません。グリーンピース・ジャパンの報告によれば,

すでに詳細な事実関係を記した上申書を作成して東京地検に提出し、青森県警にも写しを送付しており、さらに関係者はいつでも出頭に応じると伝えてありました。

とのことですが,このような状況下,仮に警察が,グリーンピース側が犯罪の成立を否認しているからとの理由で逮捕したのであるとすれば,自白獲得のために被疑者自身をいわば人質とした人質司法の現れではないかと言わざるをえません。

グリーンピースは国際的な団体であり,今回の告発も国際的な関心を呼んでいるものと考えられます。今回の逮捕,そしてその後のメンバー2名に対する処遇が国際的に注目されることは確かでしょう。

日本政府は先般の国連人権理事会に引き続き恥をさらすような真似はやめた方がよいと思うのですが。

裁判員制度により情勢の打開は図れるのか?2008年04月27日

光市事件判決,安田弁護士を被告人とする強制執行妨害被告事件判決と,私としては首をひねらざるをえない判決が続いています。

前者に関して小倉秀夫弁護士が,

私は,近々実施される裁判員制度には様々な問題があるとのご意見にはあたっている点がないわけではないことを認めながらも,職業裁判官による刑事裁判の悲惨な実情を見るに付けて,未だ裁判員制度の方にまだ光明を見いだしうるような気がしてなりません。

と書かれているのと同じような気持ちが,冒頭の2判決に接して(といってもまだメディアを通じた情報しか知りませんが)私の頭の中にも一瞬よぎりました。

裁判員制度を推進してきた弁護士の人たちの気持ちも,現在の裁判官による裁判への絶望からでてきたものでしょう。

しかし,それって,よく考えると以下のようにリスクが大きすぎ,また,そのようなリスクに見合ったメリットを得られるものともいえないのではないでしょうか。

そもそも裁判員制度自体,司法制度改革審議会意見書によれば,国民的基盤の確立のためのもので,個々の被告人のためのものではないとされています(したがって,被告人による選択権も認められていません。小倉弁護士の設問の建て方は選択権があることを仮定しているので,この論点はクリアされたというのでしょうが,制度設立の目的はやはり重要でしょう。)ので,制度目的からして裁判員制度に期待をかけることはできません。

いや,制度の目的がそうでも被告人に有利な制度として使っていくんだと,推進派の人たちはいわれるのでしょう。でも,そのようにあえて死中に活を求めるように裁判員裁判を選択するか,と言われると,私は躊躇を覚えます。特に今のメディアの過熱報道振りや,一時のネット界隈での,弁護人を擁護するブログへの非難コメントの集中振りなどを見ていると,市民に委ねてもいい結果がでるのかどうか,かなり懐疑的にならざるを得ません。

また,裁判員裁判では,公判前整理手続で証拠申請の時期は前倒しにするよう限定されますし,集中審理で弁護人の負担は増大します。加えて,裁判員裁判が所詮は多数決によってなされるものであって,本当に十分な審議によってなされるものなのか(裁判員の負担軽減という点から審議が打ち切られないか)ということも問題です。

そして,判決後も裁判員裁判については問題が残ります。裁判批判が封じられるのではないか,という点です。本年4月18日に開いた集会で斎藤貴男さんが言っていたのですが,今までの職業裁判官による裁判は所詮権力者による公権力の行使だから,躊躇無く批判できた。これが同じ国民による裁判ということになると批判できなくなるのではないか,また,被告人にとっての衝撃も大きいのではないか,というのです(この点のまとめの文責は私にあります,念のため)。

職業裁判官による裁判に問題が多いことも事実でしょう。ただ,安田弁護士の事件や立川テント村ビラまき事件の1審で無罪判決が出たように,弁護人が力を尽くせばそれに応えた判決を言い渡す裁判官もいるわけで,高裁で妙なことを言う裁判官がいたからといって裁判員による裁判の方が良いとは言いがたいように思います。

また,冒頭の2判決はいずれも高裁判決であり,高裁段階では裁判員が加わって行われる裁判は無い(したがって,1審で裁判員による裁判がなされても同じ結論になる可能性が大きい。)ということは留意されるべきでしょう。

小倉弁護士の

といいますか,職業裁判官制と裁判員制と弁護人が選択できる場合,接見及び記録の精査の結果被告人の弁解は概ね真実だと確信したら,裁判員制の方を選びませんか?>弁護士の皆様。

という問いかけに対しては,全否定はしないものの,事件についてのマスメディアの報道振りなどを踏まえて慎重に考える,という回答になりますね。