「法曹有資格者」という用語に秘められたもの2013年04月08日

法曹養成制度検討会議の中間的取りまとめ(案)が公表されましたね。

この中間的取りまとめ(案),「はじめに」の次の項目が「第1 法曹有資格者の活動領域の在り方」となっています。

活動領域について論じられるのは,「法曹」ではなく,「法曹有資格者」。つまり,法曹にならない人が多数出てくることを前提としたとりまとめ案になっています。

この「法曹有資格者」とは,法曹の養成に関するフォーラム論点整理(取りまとめ)での定義によれば,「司法試験合格者を指し,必ずしも弁護士資格を取得している者に限定されない。」とのこと。

でも,この会議はあくまでも「法曹養成制度検討会議」。「法曹」の養成について論じる場所のはずなのに,その報告書の1番目の項目が「法曹有資格者」となっているのはなぜなのでしょうか。

「法曹」となるためには現行法上,裁判官か検察官となるか,弁護士会に登録して弁護士になることが必要です。取りまとめ案が「法曹」でなく「法曹有資格者」とした第1の理由は,弁護士登録をしない有資格者をどんどん生み出し,法律に関係する職務を担わせていこうという意味があるのでしょう。

「法曹」ではなく「法曹有資格者」とした第2の理由は,その活動領域がこれまでの法曹の活動領域と異なるというだけではなく,「法曹有資格者」の性格が既存の「法曹」とかなり違ったものになるからでしょう。法曹,特に弁護士については,独立した職業人というイメージが自他共にあったように思います。弁護士人数の大幅な増加に伴う企業への進出について,正義の総量の増大だと唱えた弁護士がいましたが,その人も,企業内弁護士が独立した職業人として活動できることを前提としていたのでしょう。

ところが,今回の取りまとめ案では,企業内「法曹有資格者」の存在意義について

社内事情に精通する法曹有資格者を社内に置くことにより,案件の始めから終わりまで一貫して関与させ,その専門性を機動的に活かすことが可能となる

と述べるにとどまっています。ここにはコンプライアンスや法令遵守といった言葉さえも出てきません。司法制度改革審議会意見では,「法の支配の理念の下、その健全な運営に貢献することが期待される。」との表現がありますが,もうそのような表現は欺瞞にすぎないことが明らかになったと言えるでしょう。

これまでの企業内弁護士の場合,弁護士会に属し,弁護士共通のルールに服することによって(弁護士会職務基本規程の内容が現状でよいかは問題ですが),企業(経営者)の利益のみを一方的に推進することへの助力から逃れられていた面があるように思います(弁護士会内でも企業内弁護士の独立性について,そのような解説がなされていました。)。ところが,これが,弁護士会の拘束を受けない「法曹有資格者」となると,企業利益の推進にどっぷり浸からされるようになってしまうおそれが大です。

このように,業務拡大が議論されている「法曹有資格者」,司法試験に合格した者という点では既存法曹と変わらないものの,その内実は,既存法曹とは全く異なるものに変質したものと言えるでしょう(自治体勤務や企業の海外進出支援についても同様の問題点があります。)。

一方,既存の「法曹」はそんな「法曹有資格者」の動きを高見の見物といくかというとそんなことはなく,司法試験合格者と言うことでは同じ「法曹有資格者」の側からの業務拡大運動によって,現在の法曹の業務も「法曹有資格者」に「解放」され,実質的に,弁護士会強制加入,弁護士自治が崩壊することになるでしょう。

日弁連は会員向けFAXニュースで「法曹有資格者」という言葉をしれっと使っていますが,その言葉の横行を許すこと自体,弁護士会自治の崩壊につながるものであり,自爆行為であると言わざるを得ません。日弁連の動きについては,沈黙すべきとの議論もあるようですが,法科大学院側は延命のため弁護士自治を侵そうとしているのであり,これを看過すること自体,会員に対する背徳行為と言えるでしょう。

「法曹有資格者」という概念は,卒業生の進路を何とかして拡大しようという法科大学院と,司法試験合格者激増政策の誤りを認めたくない政策担当者の,法科大学院延命のための足掻きと言えるものです。弁護士を変質させ,その自治まで危うくする法科大学院の動きにこれ以上つきあうことは有害無益であり,日弁連は直ちに法科大学院と決別すべきように思います。