景品と賭博の狭間~ガチャ規制について考える2012年05月06日

本当に景品表示法で規制されるとなったら,同法の運用上画期的なできごとと言えますね。

コンプガチャは違法懸賞、消費者庁が中止要請へYOMIURI ONLINE

特定のカードをそろえると希少アイテムが当たる「コンプリート(コンプ)ガチャ」と呼ばれる商法について景品表示法で禁じる懸賞に当たると判断

景品表示法で規制の対象としているのは「景品類の提供」と「表示」ですから,コンプガチャを規制するためには,コンプガチャ商法で提供されているものが「景品類」に当たる必要があります。「絵合わせ」はあくまでも景品類の提供方法の一つにすぎず,「絵合わせ」として禁止されるためには,それによって提供されるものが景品類に当たる必要があります。

景品類とは,「取引に付随して提供される」ものを言います。「ガムを噛んでハワイに行こう!」(景品表示法制定のきっかけとも言われるCMです)といった場合,ガムの取引に付随して,ハワイ旅行というサービスが提供されることになるので,ハワイ旅行が景品と言うことになるのです。

これに対し,これまでは,ガチャにより得られる物(ソーシャルゲームやオンラインゲームにおいてはアイテム)は,パチンコの景品などと同様,「取引本来の内容」に当たるものとして,景品類には当たらないものと考えられてきました。

それが今回どのような理屈により景品類の提供とされるのか。

上記読売記事のもととなったとされる消費者庁長官記者会見では福嶋長官から

カードを組み合わせて、組み合わせによってレアカードが当たるというような仕組みがあります。これは場合によっては、景品に当たるということも考えられます

と述べられており,コンプガチャがすべて規制されるというものでもなさそうです。

オンラインゲーム,ソーシャルゲームのコンプガチャの場合,ガチャを引いたときの外れ商品であっても何からの効能を持つアイテムであることが考えられます(あたり商品であっても同様)。そのような場合には,アイテムとしての効能を持つ商品を得られたことが取引本来の内容であり,コンプガチャの完成に必要な一部であることは取引本来の内容ではない,と解釈すれば,景品類の提供として規制できるとも考えられますが,そのような解釈が購入者の通常の意思とどれだけ合致するものなのかという気もします。

ガチャについては,オンラインゲーム先進国の韓国始め諸外国では禁止されているところが多く,また,射幸心を過度にあおるものでよくないと思うので,日本でも禁止すべきだと思いますが,景品表示法による規制でよいのか,消費者契約法や賭博としての規制の方が実情に合うのではないかとも感じています。

景品と賭博の狭間2~ガチャとコンプガチャの法的規制を分けるもの2012年05月08日

通常のガチャとコンプガチャ,前者が景品類の提供ではなく,後者が景品類の提供として規制されるとすれば,なぜ扱いが異なるのでしょうか。

まず考えられる理屈付けとしては,

コンプガチャでは,ガチャを引いたことで直接得られるアイテム(あたりアイテムも含みます。)の効用のほかに,あたりカードをコンプリートすることで得られるアイテム等の効用が得られるという点で,取引本来の内容をなす経済的利益とは別の利益が与えられる,

という考え方です。

ただ,この理屈によると,あたりカード自体にはコンプリートするための素材としての効用以外の効用は一切ない,という場合には,コンプリートによって得られるアイテムを取引本来の内容をなすものとしてとらえざるを得ないのではないか

ということになり,コンプ素材を何らの価値のないもの(金地金が取り入れられる前のパチンコの特殊景品を想定してください)とした場合の方が規制を逃れられる

という問題点が生じます。

もう1つ考えられる理屈としては,

「正常な商慣習」からみて,コンプガチャは取引本来の内容などとは言えない

といいきる考え方があります。

景品類の提供とされないものに「値引き」がありますが,値引きについては,懸賞の方法により値引きされるかどうかが決まるときは,景品類の提供に当たるとされています(「景品類等の指定の告示の運用基準について(PDF)6(4)」。つまり提供の方法(条件)により,景品類とされるかどうかが決まっているのです。

そこで,取引本来の内容に当たるかどうかの判断についても,提供の方法(条件)により決まるものとして,コンプガチャのような提供方法については,景品類の提供に当たるとすることが考えられます。

まあ,仮にコンプガチャのみを規制するとなった場合の,その実際上の理由は,ガチャ全体を規制すると波及的効果が大きいこと,ガチャ一般を景品類として規制する場合,得られるアイテムの価額をどう決めるのか(RMTでの価格?)という問題があることから,射倖性がより大きく,絵合わせとして全面的に禁止できるコンプガチャに限って規制することとするというものではないかと思いますが。

「交通基本法シンポジウム~交通基本法を廃案にしてよいのか?」本日開催(Ustream放送もあり)2012年05月23日

本日18時から,東京・霞ヶ関の弁護士会館において,以下のシンポジウムが開かれます。以下のチャネルでUstreamでの放映も行われるとのことです。

http://www.ustream.tv/channel/niben-2012-5-23

【交通基本法シンポジウム~交通基本法を廃案にしてよいのか?~】

http://niben.jp/info/event20120523.html

【日時】

2012年5月23日(水) 18時から20時まで

(17時45分開場・申込み不要・入場無料)

【会場】

弁護士会館 3階 301号会議室

東京メトロ/霞ヶ関駅(丸の内、日比谷、千代田線)

1-b出口から直通、A1出口から徒歩2分、C1出口から徒歩3分

【主催】

第二東京弁護士会 環境保全委員会

【出演者(予定・順不同)】

<パネリスト>

辻元清美(衆議院国土交通委員会理事、民主党国土交通部門会議座長)

古倉宗治(株式会社三井住友トラスト基礎研究所 研究理事)

佐藤清志(全国交通事故遺族の会・事故防止ワーキングチーム)

工藤一彦(当会環境保全委員会委員)

<基調報告>

中島 敏(日弁連環境委員会委員)

木内秀行(当会環境保全委員会委員)

<コーディネーター>

藤田城治(当会環境保全委員会委員)

【企画意図】

交通は、円滑な人の移動及び物流を可能とし、国民の諸活動の基礎となるものであり、何人にとっても安全かつ快適な移動(交通)が確保されるべきです。他方で、交通は、事故、騒音、振動、大気汚染その他の公害、温室効果ガスの排出等によって、国民の生命、身体及び健康、自然環境、住環境等に重大な影響を及ぼすものでもあります。

この点、現在の我が国における交通政策は、しばしば必要以上に自動車に偏ったものになっていると指摘されます。自動車に偏った交通政策は、人権(安全性・公害・生活環境)・環境(騒音、振動、CO2など)に重大な悪影響を及ぼしており、さらにローカル鉄道等地域の公共交通の衰微をもたらした、との指摘です。自動車の利便性を生かしつつも、環境・安全面で優れた他の交通手段とのバランスある総合的な交通政策が必要でしょう。

2011年通常国会に提出された「交通基本法案」は、安全かつ快適な移動の権利の保障の欠如や、国、地方公共団体又は事業者の責務の曖昧さなど、不十分な点は数多くあるものの、その制定自体が、総合的な交通政策を形作っていく上での極めて重要な第一歩といえます。

しかし、交通基本法案は本年通常国会においても国土交通委員会に付託されているものの、法案審議の優先順位は低いと言われており、十分な理由もないまま廃案の危機さえ囁かれています。

今こそ、交通問題に関する第一人者を招き、環境・人権の観点から交通基本法の必要性と課題を議論し、交通基本法制定の重要性を改めて検証する必要があります。

【お問合せ先】

第二東京弁護士会 人権課(TEL:03-3581-2257)

ある法科大学院廃止で投げかけられたもの2012年05月28日

明治学院大学法科大学院が学生募集の停止を発表しましたね。

法科大学院の募集停止は初めてではありませんが,目を引くのは募集停止の理由です。

同法科大学院教授会による募集停止の発表文(PDF)によれば,募集停止の背景として

司法試験合格者数が当初の予定に沿って増加しなかったことによる入試受験者,特に社会人受験者の減少

実務教育,臨床教育を有効に遂行するために必要な学生数を安定的に確保できないおそれ(現に模擬裁判などの臨床教育を有効に遂行できない状況)

社会人受験者が大きく減少→多様な法曹を送りだそうとした法科大学院の当初の理念の変質

といった状況を挙げています。これは他の法科大学院関係者の主張にも見られる理屈で,そう珍しいものではありません。

今回の募集停止の発表で特徴的なのは以下の部分です(太字部分は管理人が太字としたものです。)。

4 また、入学試験の実施には法科大学院の教育に対する考え方が反映しておりますが、次第に本法科大学院の教育理念に沿った入学試験の実施が難しくなってきています。

ここ数年、適性試験について入学最低基準点を設定するようにという国側の働きかけが強くなってきています。本法科大学院としては、本法科大学院の教育に対する考え方に抵触しない範囲で、運用を通し、こうした国側の働きかけをできるだけ尊重してきました。

しかし、今後、入学試験を行う際、適性試験について入学最低基準点の設定を強く求められ、本法科大学院の教育に対する考え方に沿わない入試制度へと制度の変更を余儀なくされるのは、本法科大学院の教育理念を維持するという面からも受け入れることのむずかしいものです。

適性試験の成績と法科大学院の成績・司法試験の合格率との間に統計的相関はあることは否定できませんが、統計的相関があることをもって、適性試験の一定の点数を一人一人の受験生の合否を決する際の絶対的指標として用いるのは、多様な法曹養成という面からも行き過ぎではないかと考えています。そもそもの原因を司法試験合格者数の伸び悩みに求めるのは,司法修習修了者の就職難や経済的困難から目を背けるものでどうかと思います。

入学試験でどのような学生を採用するかは,各大学の学風を色濃く出せる部分であり,その入試での選考について「適性試験」の入学最低基準点という制限をかけることは,大学の自治の根幹を損なうものと言えるのではないでしょうか。この点に強く反発した明治学院大学法務職研究科教授会には,大学の自治の担い手としての矜持を感じないでもありません。

ただ,こうした介入自体,法科大学院が専門職大学院の嚆矢として発足する時から懸念していたことではあるんですよね。

法科大学院は専門職大学院という,それまでの研究者養成機関とは異なる目的を持ったもので,専門職育成という目的が明確なため,その目的達成の観点からの行政による介入が容易に予想されるものでした。

これまでも既にいろんな面で介入はなされていましたが(第三者評価機関を通じた教育内容への評価等),今回の入試への介入は,法曹志望者を,官僚志望者が教養試験で試される能力と同じ能力を持った者に限定するようなものだけに,法曹志望者の均一化,金太郎飴化を推し進め,多様な法曹という理念をもろに損ねるものと言えるでしょう。法科大学院入試への適性試験最低基準点制度の導入は,法科大学院の「できそこないの司法試験予備校」化を進めるものでしかないのではないでしょうか。

法科大学院制度って,法曹養成の観点からも,大学の自治の観点からも,速やかに廃止されるべきだと思います。