インドでの「代理出産」~依頼者男性は本当に生まれた子の「父親」なのか?2008年08月25日

日本人男性医師がインドで女性に「代理出産」してもらった結果生まれた子どもが日本に入国できないということがニュースになりました。

この生まれた子どもについて,依頼者男性が父親としての地位を有することが当然の前提となっているようですが,それは法的に自明のことなんでしょうか?

本件で生まれた子どもは,依頼者の父親と婚姻関係にある者の間で生まれた子どもではありませんから,「嫡出でない子」ということになります。嫡出でない子の父と子の関係については,子の出生当時における父の本国法,つまり父親が国籍を有する国の法律が原則として適用されます(法の適用に関する通則法第29条第1項)。本件では日本法ということになります。

日本法上,子どもが出生時に依頼者男性の子どもであったと言えるためには,子どもを出産した女性と依頼者男性とが出生時に婚姻関係にあったか,又は子どもが胎児の段階で依頼者男性が認知している必要があります。しかしそのような事情はいずれもありません。

出生時になかった父子関係を発生させる手段は生後の認知です。認知による父子関係の成立については,出生時の父親の本国法のほか,認知の時点における父親又は子の本国法によることとされています(同法第29条第2項)。さらに,認知する者の本国法によって決める場合には,子どもの利益の保護のため,認知当時における子の本国法によればその子又は第三者の承諾又は同意があることが認知の要件であるときには,その要件を具備する必要があるとされています。

子どもは未だ国籍を有していないとのことですから,子どもの本国法の代わりに子どもの常居所地法が適用されることになります(同法第38条第2項)。子どもは生まれてから今までずっとインド国内にいるようですから,インドの法律の適用が問題となります。

インド法上(インドが不統一法国であるとすれば,常居所地の地域の法律(宗教によって違うのであればそれも考慮)上),認知に当たって子ども本人や利害関係人の承諾が必要となっているかどうかは分かりません。ただ,報道によれば,インドでは,代理出産により生まれた子は養子縁組により依頼者夫婦の子どもとなるとされているようです。また,その養子縁組に当たっては,養親となる者は独身者ではダメであるとされているようです。

夫婦でないと養親になれないというのは,日本民法にみられる同種の規定(特別養子の養親が配偶者のある者でなければならないとする民法第817条の3)の趣旨から見て,養子となる子どもの保護のための規定と言えるでしょう。

そうすると,インドの養子縁組に関する上記の制限は,子どもや利害関係人の同意を要求するよりも更に強い,子ども保護の規定であり,子どもの保護を趣旨とする法の適用に関する通則法第29条第2項の趣旨からすれば,同条同項所定の要件同様に満たすべきものと考えられるのではないでしょうか。

そうであるならば,法の適用に関する通則法第29条の適用(類推適用か?)により,認知による父子関係発生の効力は生じないので,依頼者男性と子どもの間に父子関係は生じない,という結論もありえるでしょう。依頼者男性が父親であることが当然のように議論することはいかがなものか,と思います。

ただ,このような結論をとることに合理性はあるのか,という問題はあります。

本件は,男性が自分の遺伝子を引き継ぐ子どもを女性に産んでもらおうとして,以前であれば,妾や側室を囲って性交により妊娠,出産させていたのを,生殖補助医療の技術を用いて妊娠出産させた(更に,その準備段階として第三者に排卵させた。),というものです。正に女性を産む機械と排卵する機械として扱おうとするものでしかありません。

このように女性の身体を自己の子どもがほしいという欲望の実現の手段として使うことをいとわなかった人が,生まれてきた女児を自らの欲望達成の手段として使うおそれはないのか,親となる適性があるのかどうか,慎重に吟味される必要があるのではないでしょうか。そう考えると,依頼者男性を父親としないことには十分な合理性があると言えるでしょう。

もっとも一方で,生まれてきた子どもの生存,生活に責任を持たせるためにも,親としての地位,責任を認めるべきだとの考え方もありえます。その場合の法的構成としては,インド民法上同意の有無が要件とされていたとしても,関係者と思われる代理出産者の同意があると思われる以上父親としての地位は認める(この場合,国籍法第3条第1項(平成20年6月4日最高裁判決(PDF)により婚姻要件が不要となったものと考える。)により子どもに日本国籍が認められる。)といったものが考えられます。ただ,親子関係を認めるにしても,親権・監護権を依頼者男性に認めることは躊躇を覚えます。依頼者男性と子どもとの間に父子関係を認め,子どもに日本国籍は与えるが,依頼者男性には,親権・監護権は認めず,親として養育料だけ支払ってもらう,というあり方も考えられてよいように思います。

いずれにせよ,父子関係があるのは当然,だから父親のいる日本で父親と暮らさせるのが子の福祉に適う,と直ちに言えるものではないでしょう。

代理出産~やはりイエの圧力がかかってくるのだ2008年04月06日

Newsweek誌の記事を取り扱おうと思ったが,ショッキングな事実が出てきてしまったのでこちらから。

代理出産:15組が実施、8組から10人誕生--根津医師公表毎日.jp

諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(ねつやひろ)院長は4日、これまでに15組が代理出産を試みたことを同クリニックのホームページで公表した。4組は妊娠せず11組が妊娠。3組は流産、8組が出産し、10人が誕生したという。代理出産に関しては3月、日本学術会議の検討委員会(鴨下重彦委員長)が法律で原則禁止し、公的機関の管理下での試行を容認する報告書案をまとめている。

ホームページによると、代理出産について、約100組から相談を受けた。実施した15組の依頼女性をみると、6人は生まれつき子宮がないか小さいケース、9人は子宮筋腫、子宮体がんなどで子宮を摘出していた。出産を引き受けた女性(代理母)は▽実母5人▽実の姉妹3人▽義理の姉妹7人。年齢は34歳以下が5人、35歳以上10人。55歳以上も4人含まれている。

根津院長は「『代理出産の条件付き容認、悪用する者へは刑事罰』(根津私案)という基本の下で、さらに症例数を増やしながら議論していくべきだ」としている。【大場あい】

毎日新聞 2008年4月5日 東京朝刊

「実施」した15組について代理母になった人をみると,一番多いのが「義理の姉妹」というのは,単純に親族間の情誼からくる美談とは言えないだろう。

義理の姉妹ということは,代理母の側から見た場合,(1)自分の夫の姉妹夫婦のために生むケース,(2)自分の兄弟とその妻のために生むケース,(3)自分の夫の兄弟の妻に代わって生むケースが考えられる。

いずれにしても,「依頼女性」(その夫の存在が無視されているので,このような言い方はいかがなものかと思う。)と代理母との間を結びつける存在として,「夫」や「兄弟」といった男性が存在している。

この点については,男性中心のイエ制度の保持のためではないかという疑念を強く感じる。フェミニストの研究者によく研究してほしい。

ところで,上記記事で触れられている,根津医師の診療所の「ホームページ(「当院の代理出産から考えること」--当院における代理出産のご報告--)」を見てみたが,この医師,とんでもないことをしているといわざるをえない。

上記ウエブページには,「実母による代理出産をされた方の声」として,自分の夫の子を自分の実母に妊娠・出産させた女性の声が掲載されている。この女性は,生まれつき子宮に欠損があるため子どもを産めない身体であったが,そのことを理解してくれる現在の夫に出会い,結婚するに至った。しかし,そのような彼のために子どもがほしいと願い,向井亜紀・高田延彦夫妻についてのニュースを見たのをきっかけに代理出産を希望するに至る。彼女が実母に出産してもらうまでに至る経緯は以下の引用のとおりだ。

私は向井さんと同様、代理母出産を望みました。夫と話し合い、当初はアメリカでの代理母出産を考えていました。そのような時にインターネットで諏訪マタニティークリニックを知り、根津先生が近親者を代理母とするならば、代理母出産を行っていることを知ったのです。すがる思いで、すぐにお電話させて頂きました。先生の、「あなたのお母さんに手伝ってもらいなさい。」との一言で、私は電話口で声を出して泣いてしまいました。これまでの子供が産めないという苦しみや夫や夫のご両親への引け目が先生の一言で少し救われた気持ちになったからです。この先生の言葉を母に伝えると、母は快く引き受けてくれました。そこで、クリニックへは私と夫、そして私の両親の4人で受診しました。そこで、根津先生からの提案について、私たちはもう一度よく話し合い、私と主人の受精卵を母の子宮に戻すことを決めました。そして、数回目の試みで、母の体に新しい命が宿りました。それを聞き私たち家族は泣いて喜びました。それから出産に至るまでの間、私は母とともに生活しながらその日を待ちました。そして待望の出産、私は涙が止まらず我が子をまともに見ることができませんでした。ただただ先生をはじめ、温かく見守り続けてくれた諏訪マタニティークリニックのスタッフの方に対する感謝の気持ちと、何より頑張ってくれた母に対して感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。

「あなたのお母さんに手伝ってもらいなさい。」って,根津医師,母親に代理母になってもらうよう慫慂しているではないか。しかも「手伝って」などと,出産の主役が依頼者であるかのような表現を使って。現実は,依頼を受けた実母自身が危険を冒して出産するのであって,「手伝」うなどという生やさしい行為を依頼するのではないのに。上記のような根津医師の言い方は,依頼者を,代理母の負担に思いを寄せることから遠ざけるものであり,代理出産をより「気楽」に依頼できるようにしようとするものであって,代理母の依頼を受ける実母の生命に対する配慮のかけらもないものだ。まあ,根津医師自身,上記ウエブページに付された資料の末尾で,

2 実母が代理母となる利点

として,

1.娘の為に子供を産む、というところから意識がスタートしているため、依頼時には既に様々な事柄に対する覚悟が出来ている。

2.出産した子供=孫になる為、子供の受け渡しに関しトラブルは起きない(障害児が例え生まれた場合も含め)

3.代理母である実母も実父も、実の娘のためという意識下で行うため、家族間における妊娠中・産後の不都合に対する不満は起きにくい。また代理母妊娠中に依頼者が生活を共にすることも親子間であることから行いやすく、代理母の家族と依頼者の家族が密接に関わることができる。

4.妊娠出産経験者であり健康体であるため、一般の不妊治療を行っている方より高齢であっても妊娠出産率が高いものと考える。

などと,母親であれば娘のため,孫を手にするためと思っていろいろと我慢してくれることを挙げているぐらいだから,上記のような発言がなされたとしても不自然ではないが。

特に,前述の,「声」が掲載されている女性の場合,

先天的に子宮の欠損があるこの診断に両親は驚愕し、ただ泣いていました。

というのだから,子どもがそのような症状を持って生まれてきたことについて母親は責任を感じていただろうと推測できる。このように責任を感じている母親が娘から「手伝って」と言われて,そう簡単に断れるのだろうか。娘が子どもを産めないのは自分のせいだという強迫観念から,断れなくなるだろう。代理出産推進者の根津医師はそのような状況を見越して前記のような「手伝い」発言をしたのだろう。

それにしても「様々な事柄に対する覚悟が出来ている」ことを利点に挙げるって,(繰り返しになるが)代理母となる女性の身体を危険にさらすことについてきちんと配慮しているのか疑問を抱かざるをえない。実際に「マタニティ」ドレスを着用し,出産するのは代理母となる人なのだが,この医師の目には代理出産を依頼する人のことしか目に見えていないのではないか。

根津医師の報告ページはこのほかにも突っ込みどころ満載なのだが,新聞記事で引用された箇所との関係で,あと1,2点のみ触れておく。

新聞記事では15組が試行しそのうち8組が出産,10人が誕生したとされている。これだけ読むと,成功率が15分の8とは高いではないかとの感を持つだろう。私も持った。

しかし,報告によれば,

代理出産に挑戦した15例に37回のET(戻し)をして、11例に妊娠、即ち体外受精(IVF・ET)妊娠率29.7%、8例に生児を、即ち、体外受精出産立(ママ)21.6%(体外受精妊娠率30.4%、分娩率19.2%、日本産科婦人科学会調べ)でした。

ということなのであり,一般的な体外受精に比べ低いとはいえないものの,受精卵移植が成功した場合でも出産率は2割強にすぎない。つまり8割のケースでは,代理母に負担をかけながら「成果」を得られずに終わっているのだ。そして,15例に37回の戻しをしているというのだから,1症例当たり平均2回以上のET(戻し)をしている計算になる。こうしたETを行うについての負担はどの程度のものなのだろうか。マスコミは,こうしたことについてもきちんと伝えるべきではないだろうか。そこまで行かなくとも,ghanajapanさんが触れられているような,流産時の負担などについては気づいてしかるべきだろう。

根津医師は,報告の最後で

ボランティアによる代理出産も今後の課題であると考えております。これに関しては、代理出産禁止の条件となっている、妊娠・出産における危険性を無視して考えることは出来ません。すなわち、いつ何時代理母が死亡したり後遺症を残すような重篤な疾患に陥るかも分かりません。例え危険を承知でのボランティアとは言え、その場合の保障制度、トラブル化した場合の対応策を考えてからでなければ、ボランティアにより代理出産は簡単にスタートすべきではないと考えます。

今回はそのような場合にも当事者間だけで問題解決が可能な身内での代理出産、すなわち兄弟姉妹間、親子間のケースに関する実例報告をさせて頂きました。

と述べている。

身内での代理出産であれば当事者間だけで問題解決が可能というのは,親族間の争いを日常的に処理する立場からすると,楽観的にすぎるといわざるをえない。問題が起こらないとすれば,それは,実害を受けた者の側(夫や子どもを含めて)が,圧力に負けて泣き寝入りをしたということではないだろうか。

根津医師の上記のような考え方には,kurokuragawaさんの予想されるような事態が,むしろ当然の前提として組み込まれているのではないだろうか。

依頼時に加え,問題解決時に圧力がかかる,親族間での代理出産。仮に代理出産の「試行」が認められるとしても,親族間での代理出産は絶対に認めてはならないだろう。

代理出産が認められている国の実情は?2008年04月04日

代理母志願の「軍人の妻」急増=半数を占める州も-米誌

【ニューヨーク1日時事】3月31日発売の米誌ニューズウィーク最新号は、第三者の子供を産む代理母に、軍人を夫に持つ女性が志願するケースが急増していると報じた。夫が戦地に赴いている間を利用できることなどが理由。テキサス州やカリフォルニア州では、代理母の半数を「軍人の妻」が占めるという。

同誌によれば、不妊に悩む夫婦らに代わって妊娠・出産に臨む代理母への報酬は、2万-2万5000ドル(約200万-250万円)。これに対し、新兵の年間基本給は最高で約2万9000ドル(約290万円)だ。転勤が多い米兵の妻が定職に就いてキャリアを築くのは困難だが、代理出産であれば家計に大きく寄与できる。

cf.代理出産:これが実態だ国際結婚妻のひとり言。

年間290万円の給与で軍人という危険な任務に就く人がいるのも驚きだが,代理母になる人には貧困者が多いという実態を思い知らされる。

妊娠・出産には現在でも死の危険が伴うわけで,軍人とその妻はいずれもその身を殊更に危険にさらす業務に,しかも高いとはいえない報酬(十月十日で200~250万円という収入より低い収入の代理出産依頼者(カップル)というのはまれであろう。)で就くことを余儀なくされている。

このような社会が妥当なのかどうか,代理出産を肯定する論者にはよく考えてほしいものだ。

一方,営利目的での代理出産を禁じさえすればいいのではないかというと,そうも言えない。

以下はむささびさんの記事経由で知ったものだが,英国の実態をよく知らせてくれていると思う反面,この記者の姿勢には疑問を感じざるを得ないものがある。

「産むための選択」代理母制度

去年秋から今年の春にかけて英国の「代理母制度」を取材しました。英国では90年以降、手続きさえすれば、代理出産で生まれた子供を「実子」とすることが認められています。

いきなりですが、代理出産で産まれた子供を見たことありますか?

ということで、訪ねました。

こちらはオリバー君とアリスちゃん、15歳の双子です。

(年齢が、いかに前から制度があるかを物語っています)

「母は1人で混乱はないんだよね」「生まれてよかったです」の言葉に、どっきりしました。

高校に通う彼らは、授業で代理出産についてプレゼンテーションをしたりしているそうです。

代理出産のうちホスト・マザーと呼ばれる形態(日本で話題となったタレント夫婦もこの事例)では,体外受精によりできた胚を代理出産者の子宮に着床させて懐胎させる。その際,成功率を高めるために,一度に複数の胚を入れることがある。つまり,人為的に多胎の状況を作り出すのだ。上記の双子もそのようにして生まれてきたのだろう。 双子の妊娠・出産は一人の子どもの妊娠・出産よりも母体に負担をかけるものだ。子どもをほしいと望む夫婦自身が多胎による危険に自らをさらすのならまだしも,このような危険を第三者に受けさせることが果たして妥当なのだろうか。

記事は次に,代理出産を依頼して子どもを得た女性の話へと続く。

「とにかく代理出産で肝心なのは、代理母との信頼関係だ」とのこと。

過去の例では、10か月もお腹の中に居た子供を手放したくないと気持ちの変わる代理母も居て裁判になったりしています。・・・・いくら進んでいるとはいえ、産んだ女性が最初の段階で、母親であることには争いはありません。

出産後に手続きをするわけですが、それは当人同士の信頼関係でやるもの。法的義務はないため、余計に2人の間の関係が大事なのです。

リンダさんは、友人関係を続ける努力をしたといいます。

 イギリスでも,出産と同時に依頼者が母親となるものではない,ということだ。このことは,遺伝子が依頼者のものだから依頼者夫婦との間の親子関係を直ちに認めるべきだ,とする人たちには特に強調しておきたい。  

 それにしても,子どもを引き取らせてもらえるために続ける努力をする友人関係って,いかがなものなんだろう?

彼女が話した言葉の重みは、代理出産を支援する団体の会合に通うと、さらに実感できました。

中に、涙ぐむ女性が居ました。彼女は、「代理母」の側でした。

妊娠したわけでもないのに、代理出産をするためには薬を飲んだりして、体調が悪いのだといいます。

さらに、「困っている旦那の親戚に依頼されたから断れなかった」、「でも旦那は複雑な表情をする」・・・そう話し、いかに大変な作業かを語ってくれました。

他にも「人生で自分の出産より遥かに大変だった」という人も居ました。

英国は日本に比べるとイエ制度の縛りなどが薄いと思っていたが,それでもやはり,「旦那の親戚」からの依頼となると断れないものなのか。 日本ではイエによる圧力が更に強力なものとしてかかってくるのではないだろうか。代理出産の「試行」を仮に認めるとしても,親族間での腹の貸し借りは認めるべきでないだろう。

それにしても,「旦那」っていう訳,ジェンダー的に問題あるのでは?何で「夫」と訳さなかったのだろう?

営利目的でない代理出産というが,対価無しに他人のために妊娠・出産のリスクを冒す他人ってどんな人なんだろうか。結局,親族などの関係にある人が周りの圧力から引き受ける場合くらいしか考えられないのではないか。現に,代理出産を日本で手がけている根津医師が呼びかけたボランティアも,代理出産に伴う危険性を告知された途端応募者がゼロになったではないか。

非営利での代理出産についても,周囲の圧力が働く危険が大きいということを考えれば,禁止すべきであろう。

ところで上記の日本テレビの記事,取材はなかなかよくできていると思うのだが,評価の部分になると以下のように,代理出産依頼者の側に偏った見方になるのが残念だ。

英国の代理出産制度は進んでいるといわれていますが、それでも多くの問題点や悩みを抱えていると感じました。

1)依頼する側と依頼される側の間に法的拘束力はなくトラブルになる可能性が残っていること

2)補助制度が整っていない   など・・・まだ不備があります。

依頼される側に対する拘束力を課すのがよいとでも思っているのだろうか。十月十日にわたって体内で育んできた子どもを引き渡さなければならない代理出産者の気持ちには心が及ばないのだろうか?

また、アメリカと違って「商業主義」を禁止しているからこそ、

「必要経費」以外は負担しなくてよいとされていますが、

完全に依頼者目線だな。

こうしたことは日本では、まだまだ先のことかもしれません。法律や制度も違います。

ただ、代理出産で生まれた子供、代理母、依頼した母、の3者の「笑顔」を見て感じたこと;

それは素朴に同じ女性として、「選択肢」があるのはいいことではないか、ということでした。

冒頭で挙げた米国発の記事など見ると,代理母は,「選択肢」が与えられている者というよりもむしろ,依頼者に,代理懐胎の依頼という「選択肢」を提供させられている者ではないか。この記事を書いた記者は,自分や家族が貧困や家族の圧力によって「選択肢」を提供させられる側に回るということは考えないのだろうか。

代理出産については,メディアの報道では子どもを持てない女性の立場からのものが目立つように感じる。しかし実際に代理出産を行う人の立場はどのようなものか,なぜ代理出産を引き受けるようになるのか,といった観点からの報道がきちんとなされていくべきではないだろうか。

ここまで書いてきた後,冒頭の時事通信の基となったNewsweekの記事を見つけた。

The Curious Lives of Surrogates

ウエブ上の翻訳で大意をつかむことができたので,このニュースウイーク記事本体についても別項を立てて触れようと思う。

代理出産:規制の新法制定を要求…学術会議検討委2008年02月19日

1月末のシンポジウムで報告された方向でいくことになりそうですね。

代理出産:規制の新法制定を要求…学術会議検討委毎日jp

不妊夫婦の受精卵を他の女性が妊娠・出産する代理出産について検討してきた日本学術会議の検討委員会が19日開かれ、代理出産を規制する新法「生殖補助医療規制法(仮称)」の制定を求める最終報告書案が示された。

報告書案では「代理出産については現行のまま放置することは許されず、規制が必要」とし、新法では、代理出産を「当面原則禁止することが望ましい」とした。営利目的の実施については処罰対象とする。

一方、公的な管理の下で、研究目的で試行的に実施することは容認する。このために法律家、生命倫理学者、医師、看護師、心理カウンセラーらをメンバーとする運営機関の設立を求めた。また、海外などで生まれた子の母は出産した女性とし、依頼夫婦が養子や特別養子とすることを認めるとした。

報告書案は3月の最終検討委を経て、同会議幹事会で正式決定し、検討を依頼した厚生労働省と法務省に回答する。【永山悦子】

営利か非営利かをどう区別するのでしょうか。 実費目的での金銭の授受がなされるという形での脱法行為のおそれや,非営利でも家族間での強制や勧誘が行われることを考えれば,国外犯処罰規定つきで,営利非営利問わず全面的に禁止すべきように思います。生まれて来た子どもの救済のために養子や特別養子になる途は残すべきだと思いますが。

臨床研究としての代理出産~例外として認めるのはまずいでしょう2008年01月30日

原則禁止はいいのですがね・・・。

代理出産、原則禁止に 学術会議検討委が大筋合意共同通信

不妊の夫婦が妻以外の女性に子どもを出産してもらう代理出産の是非を検討していた日本学術会議「生殖補助医療の在り方検討委員会」(委員長・鴨下重彦東京大名誉教授)は30日の会合で、代理出産を法律で原則禁止し、営利目的での実施は依頼者を含めて処罰すべきだとする報告書案の内容に大筋で合意した。

一方で、代理出産の是非を判断する科学的データは不十分だとして、国の厳重な監視の下で試行的に実施する臨床研究の道も「考慮されてよい」と道を残した。

3月までに最終報告書を発表し、政府と与野党は法整備を求められることになるが、国会議員の間でも賛否をめぐり意見が分かれており、曲折が予想される。

報告書案は、代理出産によって代理母となる女性が被る身体的・精神的負担や、生まれてくる子どもの心に与える影響などの問題点を重視。法律によって禁止すべきだと結論づけた。

営利目的の場合のみ処罰するとありますが,親族間での代理出産契約などは強制や誘導のおそれが大きいのですから,非営利であっても処罰の対象とすべきではないでしょうか。もっとも,親族間の場合,依頼者自身も,家制度の圧力などでやむを得ず依頼者とならされたという面もあるかも知れず,被害者としての側面もあることが考慮されたのかもしれません。

それはさておき,今回の報告書案で納得いなかいのは,臨床研究の道も考慮されてよいとされていることです。

臨床研究ということは,代理出産者となる人が出ることを認めるということです。「国の厳重な監視下で」,つまり,管理売春ならぬ管理代理出産が行われることになるのですが,

代理出産によって代理母となる女性が被る身体的・精神的負担

について,臨床研究目的ということであれ,女性に負わせることを国が容認してよいのでしょうか。

この臨床研究において代理懐胎する女性に中絶の自由は認められるのでしょうか。また,代理懐胎者が子どもを渡したくないといったとき,その主張は認められるのでしょうか。それでは実験の目的が達せられないからといって,代理懐胎者の主張は退けられるか,「説得」という名の強制が行われるおそれが大きいのではないでしょうか。

日本では,臨床研究の被験者となる人を保護するための法制度が極めて不備な状態にあります。有識者からは被験者保護法制定の提案もなされていますが,未だ実現するに至っていません。

代理出産自体,代理懐胎者となる女性に大きな負担を与えるものであるのに,このように被験者の保護に欠けている状態で,代理出産の臨床研究を認めることは,被験者=代理懐胎者となる女性にとって極めて重大な身体・精神上の危険を及ぼすものです。到底認められるべきものではありません。

代理出産は研究目的のものも含め全面的に禁止すべきです。

代理出産の依頼・仲介と刑事罰2008年01月26日

代理出産について刑事罰つきで禁止することについては,以下のような疑問が出されています。

1 保護法益(法規制により守ろうとしている利益)は何か。

2 禁止した場合に海外で行われることについて,どのように対処するのか。

1について  保護法益については,代理出産者の生命,身体ということになります(このほかにもプライバシーや意思決定の自由というのも保護法益として考えられますが,今回は生命,身体への危険という点に限ります。)。

出産の危険性については,一般の出産の場合と比べてどうかという点について議論はありますが,母体に対する危険を生じさせるものであることは否定されていません。

このように代理出産は,代理出産者の生命身体に危険を及ぼす行為ですから,他人である代理出産者にそのような危険を殊更に負わせることを防止するため,代理出産を禁止することは正当化できるでしょう。

刑罰を科す対象としては,代理出産者自身についてはいわば被害者としての立場にあるから科さないこととし,一方,依頼者や,かかわった医師,仲介業者については,他人の身体に害を及ぼす危険のある行為をした以上処罰するとしてよいように思います。

2 国外での契約,出産依頼について

国外で代理出産を依頼した人をどうするか。

この点については,日本国民が国外で行った場合についても処罰する規定を置けば足りることです。

国外で生まれたこどもについて代理出産かどうかどう見分けるのかという反論がありますが,代理出産を行ったことが判明した場合に処罰の対象としない理由にはなりません。

国外犯処罰の規定を置いた立法例としては,児童買春防止法がありますが,これだって,海外で児童買春を行ったかどうかは帰国時には分からないのが通常です。

それでも,どうせ海外で行われたものは分からないからといって,児童買春を規制しないということにはなりませんでした。 むしろ,日本人による海外での児童買春を規制する必要があるということで,国外犯を処罰することとしているのです。

代理出産規制についても,同様の理が当てはまるでしょう。

このように,代理出産については,保護法益についても,国外で行われた行為への対応の点についても,刑事罰を科すことに問題はないものです。

刑事罰を科すことには一般に謙抑的であるべきであるから刑事罰の賦課は慎重になすべき,という考え方もあるでしょう。しかし,代理出産契約の禁止を仲介業者や依頼者に対する関係で実効的なものとするためには,刑事罰(自由刑)を設けるしかないように思います。

代理出産をめぐる「自己決定権」論について2008年01月24日

代理出産を認めるべきだという根拠として,自己決定権という言葉が持ち出されることがある。自己決定権とともに,生殖活動の自由ということが言われることもある。

妊娠・出産をめぐる自已(ママ)決定権を支える会

「代理出産一律禁止、代理母以外の関係者すべて処罰」の学術会議報告書素案提示(下)~憲法に対する意識、日本人の生き方が問われている問題であるBecause It's There

自己決定権を尊重すべきだというと,人権を尊重しているみたいで聞こえがよい。

しかし本当に人権を尊重しているのか?

生殖活動の自由というが,子どもを生んでいるのは代理出産をした人であって,代理出産の依頼者ではない。

代理出産者という他人に契約による義務を課す点で,「自己」決定権といって認めることのできる問題ではなくなっている。

また,依頼者夫婦の生殖に関する自己決定権と言っても,その内実は,他人に子どもを出産してもらい,その子どもを自分たちの子どもとするという内容の契約(民法上は,請負契約ということになろう。)を結ぶことが権利として認められるのか,ということだ。契約をする自由ということでは,他の経済的自由,財産権の行使とそう変わるところはない。公共の福祉(憲法29条2項)に適うように,その内容を法律で定めることのできるものと考えてよいのではないか。もちろん,代理出産契約自体を法律で禁じることも可能だろう。

目を代理出産者に転じてみる。

代理出産者は,契約により,生活上の自由を制限される。喫煙,飲酒,性交渉その他諸々の制限が日常生活にかかってくる。それも,10か月もの期間を通じて。また,依頼者夫婦から中絶の要求があった場合には応じなければならず,一方で,代理出産者には中絶の自由がない。

こうした制限は,「自己決定権」によって正当化できるのか。

正当化できるとすれば,それは,「自己決定権」によって,代理出産者に権利を認めているのではなく,代理出産者に義務を課すことを正当化していることになる。 自己決定権という名のもとに,いったん契約に同意したのだから義務を甘受しろという形で,代理出産者に「自己責任」を負わせているのである。

「自己決定権」というと権利を認めるもので結構なものという感じを受けるが,実際には「自己決定権」を行使したのだから,そこまで言わずとも「自己決定」したのだから「自己責任」を負えと言って他人に義務を課すことを正当化しているのだ。欺まん以外の何ものでもない。

ところで代理出産容認論者は,以下の問題についてどう考えるのだろうか。

  1. 代理出産者が,依頼者からの要請に反し,産んだ子供を引き渡したくないと考えた場合でも,代理出産者は依頼者に対して産んだ子どもを引き渡す義務を負うか。
  2. 代理出産者が依頼者の要請に反し子どもを引き渡さなかった場合,損害賠償義務を負うのか。
  3. 代理出産者が中絶を希望した場合,契約上中絶が禁止されていたからといって,代理出産者は中絶を諦めなければならないのだろうか。
  4. 依頼者夫婦が中絶を希望した場合,代理出産者は中絶しなければならないのだろうか。

契約時に自己決定権が保障されていたのだから契約上の義務には従わなければならないという論理からすれば,上記質問に対しては,契約上定められているのであればいずれもYESである,ということになろう。

しかし,契約締結時に「自己決定権」を行使できたからといって,その後の制限が正当化できるのであろうか。

「自己決定権」の行使によって結ばれたはずの契約という点では労働契約だって同じはずだが,労働契約の拘束力については,労働法によってかなりの修正が加えられている。

一般に労働市場において,使用従属関係にある労働者と使用者との交渉力は不均衡であり,また労働者は使用者から支払われる賃金によって生計を立てていることから,労働関係の問題を契約自由の原則にゆだねれば,劣悪な労働条件や頻繁な失業が発生し,労働者の健康や生活の安定を確保することが困難になることは歴史的事実である。(「規制改革会議「第二次答申」に対する厚生労働省の考え方」)

という考え方は,代理出産者と依頼者との関係にも当てはまるのではないだろうか。

代理出産者に志願する理由としては,貧困のためとされるケースが多い。日本のタレント夫婦の依頼を受け代理出産者となった女性も,夫が自己破産しており,家のローンに報酬をあてることが代理母の目的の一つであるとしている。(向井亜紀の代理母が語った「報酬」と「自己破産」

代理出産者は,報酬を得ることを優先するあまり,不利な条件であってものんでしまう。そのような条件について,自己決定権の行使の結果として受け入れたからといって,履行を強制してよいのかどうかは慎重に検討すべきだろう。

代理出産の依頼者となったタレント夫婦は,多胎妊娠をした代理出産者が減数中絶を希望したのに対し,(やんわりとかもしれないが)その希望を拒絶し,代理出産者は依頼者の要望を受け入れ,減数中絶を断念している(減数中絶自体にも問題があるが,その点は措く。)。

「双子であることについては、私の体が臨月まで耐えられるかどうか自分の子供の世話や生活もあり、すごくそのときは不安を感じてしまって悩んだ末に減胎を申し出たんです。つまり、双子のうちのひとりを堕胎したいといったのです。しかし、アキの強い意志と希望を聞き、また医師の安全であるという説明をうけて、双子を生むことを決心したんです」(大野和基 向井亜紀の代理母 インタビュー

金主である依頼者の「強い意志と希望」,医師の安全であるという「説明」。これらを受けてなされた「決心」が「自己決定」と言えるのであろうか。

抽象的に自己決定権さえ保障すればいいのだという考え方は,経済的に弱い立場にあることの多い代理出産者と,金主となる依頼者という具体的関係に目をふさぎ,強者の論理を貫徹しようとするものだろう。ネオリベ的考え方ともいえる。

無報酬でならよいとする考え方にも問題がある。

無報酬といっても仲介者,代理出産者には何らかの金員が支払われるのが通常であり,「無報酬」という言い方自体詐欺的である。(臓器移植・代理出産等で無償性を強調することの欺瞞

また,対価無しで他人のために代理出産を引き受けようとする人はそう現れないだろうから,考えられるのは親族による代理出産ということになろう。

家を守るために,お姉さん(又は妹)が可哀想だから,という理由で,代理出産が強制されるおそれはないのか。

また,代理出産という手段があるのだからという理由で,その利用を押しつけられたりすることにならないか。

以前の記事hさんがコメント欄で書かれたように,現代日本の家族関係の中では,依頼者や代理出産者となることについての「強制や誘導」がかなり多く発生するようになるだろう。

「自己決定権」を強調することは,そのような状態でなされた代理出産であっても,問題が生じたときには,「自己決定権」の行使だからということで,周囲の者の責任は不問にされ,依頼者夫婦と代理出産者間の問題にされるのではないか。

自己決定権がうたわれるときには,それがほんとうに権利保障に資しているのか,義務を課すことの正当化に用いられていないかという点に注意が必要である。

代理出産を認めることは,一握りの者の利益の追求を可能にすることとひきかえに他者に「自己責任」という形で義務を押しつけるものである。

代理出産の場合「自己決定権」は人権を尊重することよりもむしろ人権を抑圧する原理として働いているのである。