「司法改革」は市民のためのものではない ― 2008年02月14日
「市民のための司法改革をめざす。」という言葉が,司法改革推進論者の弁護士から言われることがあります。
また,弁護士増員は,規制改革派のみならず市民派からも出たと言われます(「法曹人口3千人増員の見直し] (夜明け前の独り言 水口洋介))。
これに対しては,その「市民」って誰よ?という疑問が湧きます。マスメディアが市民なのか,とも。
それはさておき,弁護士増員を含む司法改革って,本当に市民のためのものなんでしょうか?
「市民」という言葉を司法制度改革審議会(司法審)の意見書で検索してみました。すると,1回も出てきませんでした。
このことは単なる用語の問題としては済まされない問題です。なぜなら,以下に見るように,市民という言葉を権力者は嫌ってきており,それがこの司法制度改革審議会意見書にも反映されているからです。
◎NPO法案で反発
さて,次の場面は村上氏と市民活動促進法案(通称,NPO法案)とのかかわりである。「自社さ」連携のあかしとして議員立法され,臨時国会で参院に送られてきたこの法案の名前から,「市民」を削れ,と村上氏が言い出して騒ぎになる。
「ボランティアとは社会奉仕活動のことだろう。市民活動などというのはおかしい。国民不在,わが国の国家観にそぐわない」
「市民」という言葉への拒否反応は,タカ派特有の心情である。その後,参院自民党の要求は,条文上の百カ所を超える「市民」という言葉をすべて削れ,とエスカレート。「社さ」側の反発もエスカレート。
朝日新聞1997年12月16日「タカ派村上氏と『自社さ』交錯」
(上記記事中の村上氏とは,村上正邦元参議院議員です。記事の書かれた当時は自民党参議院幹事長として権勢を振るっていました。)
市民活動促進法案は結局,特定非営利活動促進法と名称変更した上で成立することになりました。ただ,「市民」という言葉は,1カ所だけ残りました。
一方,司法審意見書では,上述のように,市民という言葉は一切出てきません。上記の経緯から明らかなように「市民」と「国民」とは異なる概念です。司法制度改革において念頭に置かれているのはあくまでも「国民」であって,タカ派議員から拒否反応をもたれるような「市民」ではないのです。つまり市民は「司法改革」の眼中から外れているのです。
ところで,先日の日弁連会長選挙に関し,毎日新聞は社説で,
法曹3者中最多の陣容を構える弁護士の多くが、裁判員制度のスタートが来春に迫る折も折、司法改革に批判的、あるいは懐疑的になっていることの表れとすれば、市民にもゆるがせにできない事態だ。
民間法曹の日弁連が改革の先頭に立つことを、市民は期待している。
と述べています。(弁護士会 司法改革を後退させぬように)
司法改革に弁護士が批判的になることが市民にとって困ったことであるかのように述べているわけですが,そもそも上記のように,「司法改革」は市民を眼中においていない制度なのです。弁護士が司法改革に批判的,懐疑的になっても市民は何も困ることはありません。
むしろ,毎日社説が正に摘示する裁判員制度については,「市民」の多く(80%近く)は裁判員となることをいやがっているのであり(→内閣府アンケート結果(PDF)。読み方についてはこちら),むしろ日弁連が司法改革に批判的,懐疑的になることが市民にとってよいことと言えるのではないでしょうか。
#日弁連会長選挙で健闘した高山俊吉候補は,裁判員制度の廃止を政策の柱としていました。
「改革」は何でも「市民」にとってよいことという幻想からさめるべき時が来ているように思います。
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コメント
_ 水口 ― 2008年02月14日 21時29分36秒
_ ノムラ ― 2008年02月16日 01時35分13秒
「市民」って結局曖昧な概念なんですよね。「普通の人」と言い換えても何が普通なのか?という疑問は残りますし。
日弁連市民会議のメンバーを見ても,これが普通の人?なんておもってしまいますし。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/autonomy/shiminkaigi/shiminkaigi_a.html
>「市民」はバラバラで力がありませんから,所詮,どこにでもいて,誰も代表しないから,マスコミ(視聴率とか)が代表しているということになるしかありません。
こう言われると,結局大きな声を出す力を持っている勢力が市民の代表っていうことになるような気がします。日弁連執行部は市民の理解と支持を得るというフレーズがお好みのようでしたが,それも結局,権力者の意を汲んだ行動に出るということになってしまうのではないでしょうか。
市民という概念については別にエントリをたてて考察してみたいと考えています。
_ 水口 ― 2008年02月17日 22時24分37秒
でも,普通の隣人の考えって,何か困ったときに弁護士に依頼をしたい。でも事件を頼むときに,30万円,50万円の着手金を当たり前のように要求される。それに対する不信感は持っているのではないでしょうか。
そういう当たり前の感覚を持っている人が普通の人なのではないでしょう。弁護士を増やせば,もっと安くなるという考えを持っている人たちです。これこそ普通の感覚なのだと思います。(僕も学生の頃,法律相談30分で1万円を請求するなんて,なんかとんでもないブル弁だと思っていました。)。その普通の人々をマスコミは(少なくとも主観的には)代表しているのだと思います。
今の世の中,若者が学校を卒業しても,正社員になれず,非正規雇用で,年収200万円未満が当たり前の時代です。弁護士がけが,初年から年収600万円だ,1000万円だと言っても,どれだけ理解を得られるのでしょうか。
_ ノムラ ― 2008年02月18日 22時16分44秒
30万円,50万円もの着手金を当たり前のように請求なんてしてみたいものですよ~。当職の個人事件では,より少ない金額の着手金について算定根拠から説明し,相談者の事情を聞いて,分割払いや減額に応じているのが現状です。全く,先達の方々の振舞いが今も続いているという誤解が近時の弁護士にふりかかっているわけで・・・。
30分で1万円という相談料は,個人に対するものとすれば,ブル弁と言えるかも知れません。私自身,二弁の代表に1時間7万円の相談料を取りながら正義の総量の増大を唱える人が選ばれた時には,選んだ人たちのセンスを非常に疑わしく思ったものでした。
「初年から年収600万円と言っても」って,今問題を抱えている人たちは,それこそ勤務先も無くOJTも受けられず,プチブルはおろかプロレタリアート弁護士(労働者側の弁護士という意味ではなく,労働者としての弁護士)にもなれないかもしれないという状況にいるわけです。しかも法科大学院の学費などによる借金を抱えた状態で。こんな制度に誰がした,生きさせろって言って,本当に理解してもらえないのでしょうか?弁護士会は非難をおそれ,エエカッコしいのあまり,説明を怠ってきたんだと思います。
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