弁護士激増に反対する若手弁護士の会2008年08月01日

標記のサイトが立ち上がっています。

まだ,4月18日集会報告書の案内ブログしかできあがっていませんが,これからどのような内容が出そろっていくのか,注目していただければと思います。

なお,4月18日に行われた集会の報告書紹介ページへのリンクを設けました。2007年の就職難に見舞われた60期の弁護士の声も載っており,法曹人口問題に関心を持たれる方には是非とも読んでいただきたいと思います。

保岡興治議員,法務大臣に就任2008年08月01日

「司法改革」原理論者が登場してきましたね。 合格者3000名や新法曹養成制度の見直しもますます予断を許さなくなってきました。日弁連は司法改革の統一的実現などと寝ぼけたことを言っていては新法務大臣に押し切られてしまうのではないでしょうか。

神世界に対し第3次損害賠償請求2008年08月01日

霊感商法グループに5600万円請求(スポニチアネックス

「神世界」グループの霊感商法事件で、被害対策弁護団は1日、金をだまし取られたと訴える10都道府県の被害者19人が約5600万円を返還するよう神世界(山梨県甲斐市)に通知したと発表した。

今回が弁護団結成後3回目の請求になります。これまで合計77名の被害者が請求していますが,弁護団としては今後も被害者が集まれば,第4次,第5次と請求を行っていくとのことです。

詳しくは弁護団のサイトをご覧ください。神世界グループの活動実態については「ヒーリングサロンによる被害」に詳しく書かれています。

社民党と共産党が裁判員制度施行の延期を打ち出したことの弁護士会への影響は?2008年08月08日

国民の声は無視できなくなったということでしょうか。

社民党、裁判員制度の「延期」も含めた見直しへ保坂展人のどこどこ日記

裁判員制度 実施の延期を要求 市田書記局長が会見

政治的動きよりもむしろ注目すべきは,弁護士界内への影響です。

弁護士の中には日本共産党系/シンパと見られる勢力があります。その中の中枢的地位にある人たちには,「司法改革」の推進に熱心に取り組んできた人たちが多く見られます。当然裁判員制度の推進にも熱心に取り組んできています(現場で動いている人には反発を覚えている人たちもかなり多いようなのですが)。

上記の共産党系弁護士の行動が今後どのようになるのか,極めて注目されます。

私の属する弁護士会では,来年は会長選挙があるという噂なのですが,今のところ立候補すると見込まれている人は,濃淡の差はあれ「司法改革」を是とする候補です。こんな状況の中で「司法改革」推進をうたう候補ばかりでよいのかどうか,「司法改革」反対勢力の側としても決起するときかも知れません。

cf.お茶の水山の上ホテルより弁護士 Barl-Karthによる peace-loving 日記

社民党の公式見解(裁判員) 弁護士 Barl-Karthによる peace-loving 日記

裁判員制度の予定通りの実施にこだわる日弁連2008年08月20日

日弁連が本日(8月20日)付けで,裁判員制度施行時期に関する緊急声明を出していますね。

以下,多少のツッコミを。

裁判員法制定とともになされた刑事訴訟法改定で,公判前整理手続が導入されましたが,この点について日弁連提言では,

今回の法改正で、公判前整理手続が導入され、弁護人の活動により、捜査側の手持ち証拠が広範囲に開示されることになりました。再審開始決定された「布川事件」のような冤罪事件で問題になった捜査側の証拠隠しの防止のためには大きい改善であり、裁判の充実にも良い結果をもたらしています。

としています。

エッ!公判前整理手続を経ることによって公判廷に出すことのできる証拠が制限されてしまうという問題点には触れないんですか?弁護士の団体なのに,弁護士が独自に証拠収集するためには時間がかからざるを得ないこと,したがって,一定の時期までに証拠を出さないと原則として証拠が出せなくなってしまう公判前整理手続の導入は弁護活動に深刻な影響をもたらすことは無視ですか?

社会民主党の裁判員制度の実施に対する社民党の見解の中でも

裁判員制度の導入によって被告人の防御権が大きく損なわれる可能性が指摘されている。3回からせいぜい5回程度の集中審理、「迅速、軽負担、平易化」の審理の下で、裁判が拙速となったり、裁判員の日程に配慮した超短期審理のため強引な訴訟指揮が行なわれるおそれが強い。すでに実施されている公判前整理手続(裁判員制度導入をにらみ05年の刑事訴訟法改正で導入)のなかでこうした危惧は現実のものとなっており、裁判員制度の実施にあたっては被告人の防御権をいかに保障するかという視点から注意深い検証が必要である。

現実の裁判では公判の過程で新たな証拠と真実が浮かびあがり、事実の解明に至ることも少なくない。裁判員の日程を優先させれば、追加の主張や立証もほとんど受け付けない、異議も受け付けないという形式的な裁判となり、真実の解明が疎かにされる危険が高いと危惧される。

と,上に挙げた問題点がまさに指摘されているのです。この問題点に何らふれずに公判前整理手続を称揚する日弁連提言は,本当に弁護士団体の提言かと疑われても仕方のないものです。

また,「手持ち証拠が広範囲に開示」って,日弁連自身も認めるように,全面的な証拠開示にはほど遠いのが現状です。あたかも良い状況がもうやってきたかのような幻想を振りまくのは罪としかいいようがありません。

裁判員制度参加について消極的な市民が多いという点について日弁連提言では,

事前のアンケートでは不安を覚える市民の方が多いという報道がなされています。

この点、同じ市民が司法に直接参加し、検察官の不起訴の判断の妥当性を判断する検察審査会では、守秘義務を負いつつも、多くの市民が日常生活を中断して参加されていますが、参加前のアンケートではやはり多くの市民の方が参加に消極的です。しかし、一度審査員を経験された後では、実に96%の市民の方が「参加して良かった」と言う御意見に変わっています。諸外国でもこのような傾向は同じです。裁判員制度は誰もやったことがなく情報も少ないためご不安を覚える方も多いと思いますが、問題のある刑事裁判を良くするために是非ともご参加をいただきたいと考えています。

と言っています。

しかし,最終的に有罪にするか否かは別な機関が決める検察審査会と,死刑判決を下すかどうかまで決める裁判員裁判を同列に扱えるのでしょうか?それに,これまでかなり多数回にわたり裁判員制度についての模擬裁判が行われてきたと思うのですが,その経験者の声が取り上げられていないのはなぜなんでしょう?非常に欺まん的な物言いです。

日弁連の提言では当然ながら触れられていませんが,裁判員制度の最大の欺瞞性は,裁かれる被告人に,裁判員による裁判をうけるかどうかの選択権がない,ということです。裁判員制度が本当に被告人にとって冤罪を防ぐ良い制度であるならば,選択権を与えたとしても,自然に裁判員による裁判が選ばれていくようになるでしょう。それが選べないとなっていること自体,裁判員制度が,被告人に選択権を与えると崩壊してしまうようなしょうもない制度であることが露見しないようにするためのトリックではないでしょうか。

日弁連提言では,

裁判員裁判を延期したのでは何よりも根本的な欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続く結果となるだけです。

とも述べられていますが,現行の刑事裁判よりもっと悪くなるおそれの方がはるかに大きくはないのか,もう1度検討してみるべきなのではないでしょうか。日弁連自身が,一度決めたものは変えないという官僚的因襲にとらわれているようにしか見えません。

裁判員制度~改善される前の制度の犠牲になる人のことはどうするの?2008年08月22日

まあ官僚のトップとしては,一度決めたことは覆せないのでしょうが・・・。

樋渡検事総長、裁判員制度改善「実施してから」NIKKEI NET

樋渡利秋検事総長は21日、日本記者クラブ(東京・千代田)で講演し、来年5月に始まる裁判員制度について「国民が司法に参加する民主主義の申し子。予定通り実施し、直すべき点があれば改善していけばいい」と述べ、社民党や共産党が相次ぎ表明した実施延期や再検討を求める主張に反論した。

「改善」といっても,法律改正のためには結構な時間がかかるわけで,それまでに「改善」されない状態の制度によって犠牲になる人たちのことはどう考えているのでしょうか。「裁判員による裁判に対する再審の特例に関する法律」でも定めて救済することになるのでしょうか。

刑事裁判は裁判官、検察官、弁護士らプロに任せておけばいいという国民意識があることについて、樋渡氏は「我々を信頼していただけるのはありがたいが、裁判員制度は司法への国民の理解と信頼を向上させる重要な役割がある」と強調した。

裁判の内容がよくなるとかいうのではないんですね。まあ,検察官としては今までの裁判がよくないとは言えないでしょうし,裁判員裁判によって裁判がよりよいものになるとは実際考えていないのでしょう。

それにしても,「裁判員制度は司法への国民の理解と信頼を向上させる」と言いますが,この言い方自体,裁判員制度が国民を裁判に動員することにより,国民が司法をより理解,信頼するようこれを教育教化するためのものであることを物語っています。

こんな制度に日弁連はどこまで賛意を表し続けるのでしょうかね。

ところで検事総長は,取調の可視化について

取り調べの録画・録音については「全面的な録画・録音をしないのかという批判は承知しているが、裁判での供述調書の重みを考えると難しい」と述べた。(上記日経)

ということのようです。

しかし,現実の裁判で供述調書が証拠として重要視されてきたからこそ,取調状況の全面的な録音・録画が求められているのであり(「供述調書の重み」という発言は重要でないということを言いたいのではないでしょうから。),上記検事総長の発言は取調全面可視化否定という結論ありきの議論にすぎません。

可視化の議論自体,取調受忍義務を前提とするものではないか,とか,弁護士の立会権の議論はどこいった,とかいう問題点はあるものの,その可視化すら否定するようでは,裁判員制度はますますろくでもないものになってしまうでしょう。

インドでの「代理出産」~依頼者男性は本当に生まれた子の「父親」なのか?2008年08月25日

日本人男性医師がインドで女性に「代理出産」してもらった結果生まれた子どもが日本に入国できないということがニュースになりました。

この生まれた子どもについて,依頼者男性が父親としての地位を有することが当然の前提となっているようですが,それは法的に自明のことなんでしょうか?

本件で生まれた子どもは,依頼者の父親と婚姻関係にある者の間で生まれた子どもではありませんから,「嫡出でない子」ということになります。嫡出でない子の父と子の関係については,子の出生当時における父の本国法,つまり父親が国籍を有する国の法律が原則として適用されます(法の適用に関する通則法第29条第1項)。本件では日本法ということになります。

日本法上,子どもが出生時に依頼者男性の子どもであったと言えるためには,子どもを出産した女性と依頼者男性とが出生時に婚姻関係にあったか,又は子どもが胎児の段階で依頼者男性が認知している必要があります。しかしそのような事情はいずれもありません。

出生時になかった父子関係を発生させる手段は生後の認知です。認知による父子関係の成立については,出生時の父親の本国法のほか,認知の時点における父親又は子の本国法によることとされています(同法第29条第2項)。さらに,認知する者の本国法によって決める場合には,子どもの利益の保護のため,認知当時における子の本国法によればその子又は第三者の承諾又は同意があることが認知の要件であるときには,その要件を具備する必要があるとされています。

子どもは未だ国籍を有していないとのことですから,子どもの本国法の代わりに子どもの常居所地法が適用されることになります(同法第38条第2項)。子どもは生まれてから今までずっとインド国内にいるようですから,インドの法律の適用が問題となります。

インド法上(インドが不統一法国であるとすれば,常居所地の地域の法律(宗教によって違うのであればそれも考慮)上),認知に当たって子ども本人や利害関係人の承諾が必要となっているかどうかは分かりません。ただ,報道によれば,インドでは,代理出産により生まれた子は養子縁組により依頼者夫婦の子どもとなるとされているようです。また,その養子縁組に当たっては,養親となる者は独身者ではダメであるとされているようです。

夫婦でないと養親になれないというのは,日本民法にみられる同種の規定(特別養子の養親が配偶者のある者でなければならないとする民法第817条の3)の趣旨から見て,養子となる子どもの保護のための規定と言えるでしょう。

そうすると,インドの養子縁組に関する上記の制限は,子どもや利害関係人の同意を要求するよりも更に強い,子ども保護の規定であり,子どもの保護を趣旨とする法の適用に関する通則法第29条第2項の趣旨からすれば,同条同項所定の要件同様に満たすべきものと考えられるのではないでしょうか。

そうであるならば,法の適用に関する通則法第29条の適用(類推適用か?)により,認知による父子関係発生の効力は生じないので,依頼者男性と子どもの間に父子関係は生じない,という結論もありえるでしょう。依頼者男性が父親であることが当然のように議論することはいかがなものか,と思います。

ただ,このような結論をとることに合理性はあるのか,という問題はあります。

本件は,男性が自分の遺伝子を引き継ぐ子どもを女性に産んでもらおうとして,以前であれば,妾や側室を囲って性交により妊娠,出産させていたのを,生殖補助医療の技術を用いて妊娠出産させた(更に,その準備段階として第三者に排卵させた。),というものです。正に女性を産む機械と排卵する機械として扱おうとするものでしかありません。

このように女性の身体を自己の子どもがほしいという欲望の実現の手段として使うことをいとわなかった人が,生まれてきた女児を自らの欲望達成の手段として使うおそれはないのか,親となる適性があるのかどうか,慎重に吟味される必要があるのではないでしょうか。そう考えると,依頼者男性を父親としないことには十分な合理性があると言えるでしょう。

もっとも一方で,生まれてきた子どもの生存,生活に責任を持たせるためにも,親としての地位,責任を認めるべきだとの考え方もありえます。その場合の法的構成としては,インド民法上同意の有無が要件とされていたとしても,関係者と思われる代理出産者の同意があると思われる以上父親としての地位は認める(この場合,国籍法第3条第1項(平成20年6月4日最高裁判決(PDF)により婚姻要件が不要となったものと考える。)により子どもに日本国籍が認められる。)といったものが考えられます。ただ,親子関係を認めるにしても,親権・監護権を依頼者男性に認めることは躊躇を覚えます。依頼者男性と子どもとの間に父子関係を認め,子どもに日本国籍は与えるが,依頼者男性には,親権・監護権は認めず,親として養育料だけ支払ってもらう,というあり方も考えられてよいように思います。

いずれにせよ,父子関係があるのは当然,だから父親のいる日本で父親と暮らさせるのが子の福祉に適う,と直ちに言えるものではないでしょう。