裁判員制度は子どものしつけや教育,治安意識の植え付けのため?2007年06月29日

6月26日付けの朝日新聞田園都市版紙面に神垣清水前横浜地検検事正へのインタビュー記事が載っていた。新たな公取委員に就任するということらしい。神垣氏はこのインタビューで裁判員制度について以下のように語っている(「事件や司法制度改革 神垣さんに聞く~環境事犯に最も力 コスト意識が必要)。

裁判員制度の意義のひとつは,司法へのコスト原理の導入だ。司法だけがなぜ,無尽蔵に時間と金と人をかけて許されるのか。これを裁判員の手を借りて,短時間でやることになる。これからは,裁判官,検察官,弁護士もコスト意識を持たなければならない。

時間と金と人を無尽蔵のように使っていたのは誰なんだろうか。また,裁判員の手を借りて短時間でやる,と言うけど,手を貸させられる裁判員の負担については配慮は全くないのだろうか。

それにそもそも,コストが低ければえん罪によって人権が侵害されてもよいというのだろうか。

裁判員制度には,治安への効果もある。殺人事件の被告や被害者とむきあい,被告をどう処罰するのかを考える。今までは,新聞やテレビで触れるだけだった国民が直接事件に触れ,判断をすることで,子どものしつけや,教育にも生きてくるのではないか。時間はかかるだろうが,治安はひとごとではないという意識も生まれるはずだ。

「被告をどう処罰するのかを考える」って,無罪判決が出ることは最初から想定外なのか。「子どものしつけや,教育にも生きてくる」って,何がどう生きてくるのか。

それにしても,

時間はかかるだろうが,治安はひとごとではないという意識も生まれるはずだ。

というのはどういうことか。国民総警察官化が裁判員制度の狙いということか?

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