中国製餃子事件と製造物責任法~欠陥の存在時期 ― 2008年02月03日
中国製餃子の問題,中国側から日本にまで調査団が乗り込んでくる事態になっていますね。
毒性を持つ農薬が入っていた餃子は,食品が通常持つべき安全性が無かったことは明らかですから,少なくとも被害者が食べた時点においては欠陥ある商品であることは明らかです。
欠陥商品による被害については,製造物責任法が製造者その他に損害賠償責任を課しています。
責任を取るべき業者としては,実際に製造した中国の業者にくわえ,輸入した業者,商品を自社ブランドで販売した業者などが考えられます。
しかし,消費者が食べて中毒を起こした食品から農薬が検出されたとしても,直ちに中国の製造業者や輸入業者,自分のところの製品としてブランド名を付した業者などに責任を問えるということにはなりません。
問題なのは,欠陥がどの時点で存在したのか,という点です。
この点に関して製造物責任法は,
第三条 製造業者等は、その製造、加工、輸入又は前条第三項第二号若しくは第三号の氏名等の表示をした製造物であって、その引き渡したものの欠陥により他人の生命、身体又は財産を侵害したときは、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が当該製造物についてのみ生じたときは、この限りでない。
と定めています。
この規定からは一見明らかではありませんが,欠陥については,責任を問われる業者が引き渡した時に存在していたものでなくてはならないとされています。
また,業者が引き渡した時に欠陥が存在していたということについては,損害賠償を求める消費者の側で証明しなければならないこととされています。
この,製造業者らが引き渡した時点で欠陥が存在したことの証明を消費者側に求めることについては,立法段階から批判がありました。
この点に関して,製造物責任に関するEC指令では,「流通過程においた時点で欠陥が存在しなかったか,または流通過程においた後に欠陥が発生したことの蓋然性が高いことを証明した場合」(第7条(b)。訳は『製造物責任法の論点』84頁(上原敏夫執筆)による。)に製造者の責任が免除されると定められています。この規定から,消費者が,損害発生時に欠陥が存在したと証明した場合には,製造者が流通過程においた時点で欠陥が存在したということが推定されるものと解されています。
日本での製造物責任法制定の際にも,せめてECなみの消費者保護をということで,このような欠陥の存在時期についての規定を置こうという動きがありました。しかし,証明責任分配の原則に反する(権利を発生させる根拠となる事実は権利を主張する側が証明すべき)ということを理由に,結局欠陥の存在時期についての推定規定を置くことは見送られたのです。法律上の推定規定を置くことは裁判所による自由な心証形成を妨げる,といった批判もありました。
しかしそれでは消費者に負担をかけすぎるという批判をかわすためでしょうか,裁判での事実上の推定に期待するといった趣旨の文言が,法律案制定前の審議会の報告書には盛り込まれました。国会審議での質疑応答にも出ていたと思います。
事実上の推定に期待するというのは,法律で一律には定めはしないけど,損害時に欠陥があると証明されたら,流通過程に置いた時に欠陥があったものとして裁判官が考えることを期待しますよ,ということです。司法に丸投げしたわけです。
本件では,複数個の製品から有機リン系農薬が検出されるなどの事情があったことから,製造,輸入時に欠陥が無かったことを製造業者,輸入業者の側である程度反証しない限り,製品が流通に置かれた時点で欠陥ありとされる可能性は強いように思われます。
しかし,本件のように,流通に置かれた時点での欠陥が存在したことの推定できる事情が必ずそろうとは言えません。流通に置いた際の事情については製造業者らの方が消費者よりも詳しいことからすれば,損害発生時に欠陥が存在したということから,流通に置いた時に欠陥が存在したと推定する規定を置くことは,消費者保護の観点から望ましく,また,製造業者らにとっても負担をかけるものではないように思います。欠陥の存在時期に関する推定規定を置くように法改正すべきではないでしょうか。
減員さえ受け入れられれば法務省のいいなり? ― 2008年02月04日
日弁連会長選挙に関連してでしょうか,「創る会政策ニュース」第7回が送られてきました。
その中では,
「めざす会」の政策では,国民の理解を得られず,人口問題への早期対応は不可能です。
「めざす会」は「裁判員反対」「被疑者国選弁護反対」「法テラス反対」「ロースクール反対」など反対のオンパレードです。法務省が日弁連の意見も聞いた上で2010年以降の合格者数を見直す方針を明らかにしている中,司法改革にすべて反対しながら,合格者減を主張しても受け入れられるはずがありません。
と書かれています。
めざす会は被疑者国選弁護に反対しているのではなく,それが法テラスと契約しなければ活動できないものであることに反発しているのです。この点,相変わらずミスリーディングですね。
それはとにかく,上記記述は,折角法務省が合格者数見直しに着手しようとしているのだから,合格者減を受け入れてもらうために,司法改革のその他の施策については全て法務省に反対しないことが必要だと言っているように読めます。
つまり,合格者減を受け入れてもらうために,その他の司法改革関連施策については法務省のいいなりになれと言っているのです。
弁護士会の独自性はどこへ行ってしまうのでしょうか。
米ヤフーへの支援~どっちもダメだろ ― 2008年02月04日
どっちが支援するにしても,競争の主体が減って消費者にマイナスになるのでは?
グーグル、米ヤフー支援提案…マイクロソフトに対抗(YOMIURI ONLINE)
【ニューヨーク=池松洋】ソフトウエア最大手の米マイクロソフトがインターネット検索世界2位の米ヤフーに買収を提案したのに対抗し、ネット検索最大手の米グーグルが、マイクロソフトの買収を妨げるため、ヤフーに対し「どんな支援でも行う」と申し入れた。
米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)が3日、報じた。ヤフーを巡る大型買収劇は、マイクロソフト対グーグルという「IT(情報技術)2強」の全面対決に発展した。
同紙によると、グーグルのエリック・シュミット最高経営責任者(CEO)が、ヤフーのジェリー・ヤンCEOに直接電話で支援の意向を伝えた。ロイター通信も同日、ヤフーがグーグルとの提携を検討していると報じた。
ただ、米検索市場におけるシェア(市場占有率)はグーグルが約6割、ヤフーが2割強で、両社を合計すれば約8割になる。両社の経営統合は米独占禁止法に抵触する可能性が高く、グーグルによるヤフーの買収や、両社の合併の可能性は低いと見られる。
グーグルは、ヤフーとの業務提携のほか、ヤフーとマイクロソフト以外の企業との提携や、ヤフーの独立経営の維持の支援などを考えていると見られる。
マイクロソフトは1日、ヤフーに総額446億ドル(約4兆7500億円)での買収を提案したと発表した。マイクロソフトは米ネット検索市場のシェアが1割程度と苦戦しており、ヤフーとの統合で、グーグルを追撃したい考え。
しかし、圧倒的な資金力を持つマイクロソフトの攻勢はグーグルにとっても脅威であるため、グーグルも対抗してヤフーに支援を申し入れたと見られる。
ヤフーは3日までに、同社のサイトで、マイクロソフトの買収提案への回答は「かなり時間がかかる可能性がある」と交渉の長期化を示唆するとともに、マイクロソフト以外の提携先を探る可能性も認めている。
一方、グーグルのデビッド・ドラモンド上級副社長は3日、同社のブログでマイクロソフトの買収提案を非難する声明を発表した。
ドラモンド副社長は、「インターネットの開放性がグーグルやヤフーの登場をもたらし、技術革新がネットの利用者に利益を与えてきた」と指摘し、マイクロソフトがヤフーを買収すれば、電子メールサービス分野で圧倒的なシェアを占めることになり、ネット利用者の選択の余地が狭められると警告した。その上で、「世界の政策立案者が調査する必要がある」とマイクロソフトによるヤフー買収提案を独禁法違反の疑いで審査するよう求めた。マイクロソフトのブラッド・スミス上級副社長は直ちに声明を出し、「グーグルは、世界で支払われたネット検索による収入の75%を得てきた。マイクロソフトとヤフーの組み合わせは、インターネット市場に競争をもたらす」と反論した。
記事にもあるように,ヤフー+グーグルでは検索サイト分野での,ヤフー+マイクロソフトでは電子メールサービス分野(yahooメールとhotmailでしたっけ)の競争が阻害されることになるでしょう。
これを防ぐために,支援に当たり,競争を阻害することとなる分野の製品を第三者に売却させる措置を競争当局が講じることが考えられます。
そのような措置なくして支援を認めることは,消費者の選択を狭めることになり,消費者利益を損ねることになるのではないでしょうか。
製品事故の原因究明vs警察の捜査 ― 2008年02月05日
捜査っていっていつ戻ってくるかわからないんですよね・・・。
中国調査チーム、ギョーザ提供求める (TBSの動画ニュースサイト News i)
中国産の冷凍ギョーザから殺虫剤が検出された事件で、来日中の中国政府の調査チームが日本側に対し、メタミドホスが入っていたギョーザの現物を提供するよう求めていたことがわかりました。
これは日本政府側が会議終了後に明らかにしたもので、中国の調査チームは日本側に対し、メタミドホスが検出されたギョーザの現物の提供を求めたということです。
これに対して、会議に参加していた警察庁の担当者は、「警察の捜査資料なので提供するには国際法上の手続きが必要」として、「持ち帰ることはできない」と説明したということです。
それ以外の回収中のギョーザについては、「企業のもので、政府の所有物ではない」と説明し、ギョーザの持ち帰りは実現しないことになりました。
会議では、日本側から中国側へのこれまでの事実経過についての情報提供に終始し、具体的な進展はありませんでした。
今回に限らず,警察って製造物による事故が起きると,捜査のためって言って持ち去ってしまって,なかなか所有者に返してくれないんですよね。
製造物責任法ができるときの議論でも,消費者団体や,実際に事故にあった人から,警察が物を持って行ってしまって民事訴訟の証拠として使えないという苦情があがっていました。
今回の中国の要請にまるまる応えることがよいのかどうかは別として,警察には,捜査に必要なのだからといつまでも製品を占有せずに,事故の被害者の損害賠償請求などのために便宜を図ってほしいものです。
敗戦処理として責任を軽く考えてよいのか? ― 2008年02月06日
司法制度改革審議会で中坊委員や久保井会長が3000人を受け入れたのはいわば敗戦処理だという見方があるようです。
敗戦処理というと野球の試合を思い浮かべてしまい,やむを得ないか・・と思ってしまいがちですが,果たしてそれはどうか?と思います。
同じ敗色濃厚な試合でも,サッカーのリーグ戦であれば,リーグ戦全試合を通じての得失点差のことなどを考えると,少しでも負けを挽回することが要求されます。捨て試合として手を抜くことは後に禍根を残します。
では当時の日弁連執行部の対応はどうだったのでしょうか?
2000年に,当時の久保井日弁連会長が司法制度改革審議会に出席した時の議事録を見たところ,以下のようなやりとりが見つかりました。
【山本委員】非常に素朴な質問なのですけれども、久保井会長にお聞きします。確かに今度の議論は司法の容量をうんと増やそうということで、これはだれも異論はないのですが、率直に申し上げて、急激な増加ということについて、多少の危惧を持っているのです。増加の幅というのはこの間議論されたようなことになるのですけれども、ずっと750 人で来た体制が一気に4倍になるわけですね。多少の条件整備等は置くわけですけれども、久保井会長から御覧になって、現実問題として、これまでの例えば過疎地域というのは、増える方向で推移してきていますね。これがいろんな手立てをやるわけですけれども、これからの日本の地域社会の在り方を見ると、例えば、規制緩和が進んでいきますと、かなり中規模の都市でも、郊外に大きなスーパーができると、商店街が全滅するというふうな現象が実はあるわけです。そういったこれからの社会経済の発展方向を考えたときに、弁護士さんの仕事という面で、過疎地区が多少解消される方向に経済社会は動いていくのだろうかという疑問があるんです。先ほど行政指導とおっしゃられましたけれども、行政指導を幾らされても無理なことはやはり無理じゃないかという気持ちがあるのですが、その辺はどういうふうにお考えでしょうか。
それから、過疎地区以外でも、いろんな資料を拝見しますと、弁護士の受任率というのは、都市部でもそんなに上がっていないと。こういった問題が、例えば、今議論されている司法の透明化とか、できるだけ広告をするとかいう手段をこれからやるわけですが、これが飛躍的に上がっていくのかどうか。極めて劇的に、ドラスティックに上がっていくものかどうか。我々が今議論しているのは4倍という法曹人口を議論しているわけですから、そういったことについてどうお考えでしょうか。
【佐藤会長】今は既に1,000 人。
【山本委員】1,000 人というのは、ついこの間で、3倍でもいいですが、そういうところが気になるんです。
もう一つは、これも鶏と卵なのですけれども、弁護士さんの数というのは、今これからも議論されなきゃいけないんですけれども、隣接職種の問題ですとか、言われている30条の問題ですとか、72条の問題、いろいろあるわけです。3,000 人という増員について、最初に申し上げたように、社会経済の流れを踏まえて、久保井会長御自身の実務の経験に照らしたときにどうなのか。加えて、今申し上げた仕組みとの関係ではどういうふうにお考えか。その2点についてお聞かせいただければと思います。
【日弁連(久保井会長)】先般の集中審議で、21世紀の法曹人口について、3,000 という数字をお出しいただいたということについては、これは弁護士会としても、国民の声をくみ上げた結果お出しになった数字として、これを真摯に受け止めなければならないと。そして、これを積極的に受け入れていかなければいかぬというふうに私としては思っています。
それが大丈夫かという御質問ですけれども、私は十分に大丈夫だろうと思います。明日から3,000 人になるわけじゃありませんし、これから法律扶助もこの間国会で第一段階の改革がなされ、大幅に扶助費が拡大するということになりまして、さらに、今回の改革に加えて、次の改革が既に打ち出された。それからまた、当番弁護士制度というものが10年前から行われているんですけれども、これを刑事被疑者弁護士制度として、国費によるものとする制度化も急速に進んできている。今非常に破産事件が多い。数年前は5万件くらいしかなかった破産事件が、今は十数万件になっている。しかも、潜在的な破産者というのは非常にたくさんおる。管財人の引き受け手がなくて、裁判所も大変困っておられるというようなこともありまして、我々が至急に対応しなければならない。そういう公的なニーズが非常にたくさんある。
新しい弁護士の就職問題、本年は800 人の修習生の就職が10月にあり、4月に前の期の就職があって、一遍に1,500 人余りの修習生の就職があるんで大丈夫かという声があちこちから上がって、弁護士会の2000年問題ということで面白おかしく書かれたこともございましたけれども、関係者の危惧をよそに、極めて短期間に、全然心配なく吸収されていったという経過がございます。
そういうことを考えますと、私は今まで1,000 人だったものが、今度審議会がお出しいただいた数字の方向にいくとしても、十分に日本社会で吸収し得ると思います。
もう一つは、弁護士の活動スタイルも、先ほどのプレゼンテーションでも申し上げたように、広がっていく。つまり、これまで裁判所の近くに固まって裁判所の城下町的な仕事しかしていなかったのが、社会のすみずみにまで広がって、例えば、今年の4月から高齢者の財産管理について、いわゆる成年後見制というのが整備される中で後見人を引き受けるということになれば、これはホーム・ローヤー的な弁護士が非常に必要になってくる。
また、企業もアメリカのようなことにはならないにしても、これからいろんな国際的な活動もしていかなければならない。いろんな高度な活動をしていく中で、弁護士に対するニーズも非常に増えていく。
行政もいろんな分野で弁護士を必要としている。例えば、外部監査制度を導入するということも動きとして出てきている。
そういうことを考えますと、我々が対応しなければいけない弁護士ニーズというのは非常にたくさんある。勿論、それは計画的に進めるということは必要だと思いますけれども、決して審議会がお出しになった数字を無理な数字だとは、私どもとしては思っていないのが実情です。
山本委員というのは,審議委員名簿によれば,東京電力副社長の山本勝委員のことのようですから,公益企業の役員とはいえ,いわば経済界を代表する委員です(オリックスの宮内氏とは立場が違う人ではありましょうが)。
この委員からさえ,
急激な増加ということについて、多少の危惧を持っているのです。増加の幅というのはこの間議論されたようなことになるのですけれども、ずっと750 人で来た体制が一気に4倍になるわけですね。
と,急激な激増について疑問が呈されています。3000人合格という激増に対する危惧感があれば,これを反攻の端緒にすることも考えられたはずです。例えば,増加は認めるがその数については更に検証すべきであるとか,徐々に増加すべきであるといった選択肢を用意の上提示することも考えられたでしょう。
しかし久保井会長(当時)は,
それが大丈夫かという御質問ですけれども、私は十分に大丈夫だろうと思います。
と見得を切ってしまっています。 反攻の機会を逃してしまっているわけで,3000人合格という激増政策についての退路を自ら断ってしまっているのです。
その責任は「敗戦処理」として過小評価できるものではないでしょう。
#この回の久保井会長の答弁を見ていると,むしろ積極的に3000人増員を受け入れているようで,確信犯のようにも思えます。
なお,4月から就任する新会長について,二度目の敗戦処理投手とする見方もありますが,サッカーでいえば,優勝は逃したがチャンピオンズリーグに出られるかどうかのたたかい(又は,一部リーグに残れるかどうかのたたかい)が続いている状態にあり,これまでの方針を改めてまき直しを図るのか,従前の方針を基本的に継承するのかがチームの今後の地位に大きな影響を及ぼす状況が続いているというべきでしょう。
「司法改革」は市民のためのものではない ― 2008年02月14日
「市民のための司法改革をめざす。」という言葉が,司法改革推進論者の弁護士から言われることがあります。
また,弁護士増員は,規制改革派のみならず市民派からも出たと言われます(「法曹人口3千人増員の見直し] (夜明け前の独り言 水口洋介))。
これに対しては,その「市民」って誰よ?という疑問が湧きます。マスメディアが市民なのか,とも。
それはさておき,弁護士増員を含む司法改革って,本当に市民のためのものなんでしょうか?
「市民」という言葉を司法制度改革審議会(司法審)の意見書で検索してみました。すると,1回も出てきませんでした。
このことは単なる用語の問題としては済まされない問題です。なぜなら,以下に見るように,市民という言葉を権力者は嫌ってきており,それがこの司法制度改革審議会意見書にも反映されているからです。
◎NPO法案で反発
さて,次の場面は村上氏と市民活動促進法案(通称,NPO法案)とのかかわりである。「自社さ」連携のあかしとして議員立法され,臨時国会で参院に送られてきたこの法案の名前から,「市民」を削れ,と村上氏が言い出して騒ぎになる。
「ボランティアとは社会奉仕活動のことだろう。市民活動などというのはおかしい。国民不在,わが国の国家観にそぐわない」
「市民」という言葉への拒否反応は,タカ派特有の心情である。その後,参院自民党の要求は,条文上の百カ所を超える「市民」という言葉をすべて削れ,とエスカレート。「社さ」側の反発もエスカレート。
朝日新聞1997年12月16日「タカ派村上氏と『自社さ』交錯」
(上記記事中の村上氏とは,村上正邦元参議院議員です。記事の書かれた当時は自民党参議院幹事長として権勢を振るっていました。)
市民活動促進法案は結局,特定非営利活動促進法と名称変更した上で成立することになりました。ただ,「市民」という言葉は,1カ所だけ残りました。
一方,司法審意見書では,上述のように,市民という言葉は一切出てきません。上記の経緯から明らかなように「市民」と「国民」とは異なる概念です。司法制度改革において念頭に置かれているのはあくまでも「国民」であって,タカ派議員から拒否反応をもたれるような「市民」ではないのです。つまり市民は「司法改革」の眼中から外れているのです。
ところで,先日の日弁連会長選挙に関し,毎日新聞は社説で,
法曹3者中最多の陣容を構える弁護士の多くが、裁判員制度のスタートが来春に迫る折も折、司法改革に批判的、あるいは懐疑的になっていることの表れとすれば、市民にもゆるがせにできない事態だ。
民間法曹の日弁連が改革の先頭に立つことを、市民は期待している。
と述べています。(弁護士会 司法改革を後退させぬように)
司法改革に弁護士が批判的になることが市民にとって困ったことであるかのように述べているわけですが,そもそも上記のように,「司法改革」は市民を眼中においていない制度なのです。弁護士が司法改革に批判的,懐疑的になっても市民は何も困ることはありません。
むしろ,毎日社説が正に摘示する裁判員制度については,「市民」の多く(80%近く)は裁判員となることをいやがっているのであり(→内閣府アンケート結果(PDF)。読み方についてはこちら),むしろ日弁連が司法改革に批判的,懐疑的になることが市民にとってよいことと言えるのではないでしょうか。
#日弁連会長選挙で健闘した高山俊吉候補は,裁判員制度の廃止を政策の柱としていました。
「改革」は何でも「市民」にとってよいことという幻想からさめるべき時が来ているように思います。
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