裁判員制度により情勢の打開は図れるのか?2008年04月27日

光市事件判決,安田弁護士を被告人とする強制執行妨害被告事件判決と,私としては首をひねらざるをえない判決が続いています。

前者に関して小倉秀夫弁護士が,

私は,近々実施される裁判員制度には様々な問題があるとのご意見にはあたっている点がないわけではないことを認めながらも,職業裁判官による刑事裁判の悲惨な実情を見るに付けて,未だ裁判員制度の方にまだ光明を見いだしうるような気がしてなりません。

と書かれているのと同じような気持ちが,冒頭の2判決に接して(といってもまだメディアを通じた情報しか知りませんが)私の頭の中にも一瞬よぎりました。

裁判員制度を推進してきた弁護士の人たちの気持ちも,現在の裁判官による裁判への絶望からでてきたものでしょう。

しかし,それって,よく考えると以下のようにリスクが大きすぎ,また,そのようなリスクに見合ったメリットを得られるものともいえないのではないでしょうか。

そもそも裁判員制度自体,司法制度改革審議会意見書によれば,国民的基盤の確立のためのもので,個々の被告人のためのものではないとされています(したがって,被告人による選択権も認められていません。小倉弁護士の設問の建て方は選択権があることを仮定しているので,この論点はクリアされたというのでしょうが,制度設立の目的はやはり重要でしょう。)ので,制度目的からして裁判員制度に期待をかけることはできません。

いや,制度の目的がそうでも被告人に有利な制度として使っていくんだと,推進派の人たちはいわれるのでしょう。でも,そのようにあえて死中に活を求めるように裁判員裁判を選択するか,と言われると,私は躊躇を覚えます。特に今のメディアの過熱報道振りや,一時のネット界隈での,弁護人を擁護するブログへの非難コメントの集中振りなどを見ていると,市民に委ねてもいい結果がでるのかどうか,かなり懐疑的にならざるを得ません。

また,裁判員裁判では,公判前整理手続で証拠申請の時期は前倒しにするよう限定されますし,集中審理で弁護人の負担は増大します。加えて,裁判員裁判が所詮は多数決によってなされるものであって,本当に十分な審議によってなされるものなのか(裁判員の負担軽減という点から審議が打ち切られないか)ということも問題です。

そして,判決後も裁判員裁判については問題が残ります。裁判批判が封じられるのではないか,という点です。本年4月18日に開いた集会で斎藤貴男さんが言っていたのですが,今までの職業裁判官による裁判は所詮権力者による公権力の行使だから,躊躇無く批判できた。これが同じ国民による裁判ということになると批判できなくなるのではないか,また,被告人にとっての衝撃も大きいのではないか,というのです(この点のまとめの文責は私にあります,念のため)。

職業裁判官による裁判に問題が多いことも事実でしょう。ただ,安田弁護士の事件や立川テント村ビラまき事件の1審で無罪判決が出たように,弁護人が力を尽くせばそれに応えた判決を言い渡す裁判官もいるわけで,高裁で妙なことを言う裁判官がいたからといって裁判員による裁判の方が良いとは言いがたいように思います。

また,冒頭の2判決はいずれも高裁判決であり,高裁段階では裁判員が加わって行われる裁判は無い(したがって,1審で裁判員による裁判がなされても同じ結論になる可能性が大きい。)ということは留意されるべきでしょう。

小倉弁護士の

といいますか,職業裁判官制と裁判員制と弁護人が選択できる場合,接見及び記録の精査の結果被告人の弁解は概ね真実だと確信したら,裁判員制の方を選びませんか?>弁護士の皆様。

という問いかけに対しては,全否定はしないものの,事件についてのマスメディアの報道振りなどを踏まえて慎重に考える,という回答になりますね。

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