選挙 ― 2011年01月19日
私の属する第二東京弁護士会では,会長選挙が行われることとなった。
「司法改革」推進の是非をめぐり,真っ向からぶつかりあう様相となっている。
投票日は2月4日。
なんとか「司法改革」の嵐をストップさせる方向に弁護士会を持って行きたいものである。
高額費用を敬遠?「弁護士なし訴訟」増加 ― 2011年01月12日
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110112-OYT1T00938.htm
司法制度改革によって弁護士の数が10年前の約1・8倍に増加したにもかかわらず、原告または被告に弁護士が付かない「本人訴訟」が地裁の民事裁判に占める割合が14ポイントも増え、73%に上っていることが最高裁の集計で明らかになった。
記事内でも指摘されているように,本人訴訟の比率の増加は,過払金返還訴訟が急増したことによることが大きいのですが,同訴訟などを除いた場合でも,本人訴訟の割合は10年前と同じ約6割で推移しているということですから,弁護士数の増加に比べ弁護士がつく事件の割合は増加していないと言えるでしょう。
(しかし過払い事件って,結構法的論点はあるんですけどね・・。定型的だから本人でもできるというものではなく,何か裏の事情が介在しているような気もします。)
このように本人訴訟が進まない理由として,ウエブに載せられた部分では,弁護士費用(特に着手金)が高くて依頼をためらわせる,インターネットを通じて自ら情報収集ができるといった理由が挙げられていますが,ウエブには(現時点では)載せられていない(12日夕刊に掲載)部分に書かれているように,
「弁護士が増え,生き残り競争が激しくなった。弁護士に公益的な役割があるからといって,採算の合わない仕事を引き受ける余裕はない」
といった事情も大きいように思います。
弁護士を激増しさえすれば競争の激化によって需要を掘り起こせるという論理が実態に即していないことが明らかになったのではないでしょうか。
ところで,紙面によれば,弁護士がついた相手に「素人」が勝訴した割合は過去10年間3~4割台で推移しているということのようです。
この数値,一概に低いとは言えないように思うのですが,どうでしょうか?
なお,紙面には,元日弁連司法改革調査室長の四宮啓國學院大學教授の話が載っており,これに対してもつっこみたいのですが,ここまでにします。
(以下1/13追記)
紙面には,元日弁連司法改革調査室長の四宮啓國學院大學教授の話が載っています。四宮氏の話では
都市部に比べ弁護士数が少ない地方では,弁護士が支援すべきケースがまだまだあるはずだ。弁護士は,社会や市民に奉仕することが大きな使命。本人訴訟がなぜ増えているのか,弁護士会としても調査すべきだ。
とのことです。
「地方」ではまだ弁護士が足りていないという口ぶりですが,どうなんでしょうね?
また,弁護士の使命って「奉仕」活動なんですかね(サービス業であることを指して「奉仕」といったのであれば,「使命」とまで大上段に振りかざして言うことでもないでしょう。)。また,「社会」や「市民」への奉仕って,実際のところ結局,声の大きい人たちの言うことに従えということになるのではないでしょうか。
就職難など,弁護士激増の弊害が既に生じている一方,激増の利点と言われてきた効果が発生しなかったことも明らかになっているのですから,もう激増は止め,とするのが賢明だと思うのですが,司法改革推進論者はまだ「司法改革」は正しかったと強弁するのでしょうか。
裁判員裁判、少年に初の死刑判決 石巻3人殺傷 ― 2010年11月25日
1件出て,足かせが取れたのでしょうか。
http://www.asahi.com/national/update/1125/TKY201011250371.html?ref=rss
宮城県石巻市で今年2月に男女3人が殺傷された事件の裁判員裁判で、仙台地裁(鈴木信行裁判長)は25日、殺人罪などに問われた同市の無職少年(19)に求刑通り死刑判決を言い渡した。裁判員裁判での死刑判決は2例目で、少年に対しては初めて。
検察側は論告で、少年の犯行を「非人間的で残虐で冷酷極まりない」と厳しく非難。保護観察処分中の犯行だったことから「犯罪性向は根深く、更生は期待できない」との見解を示し、山口県光市の母子殺害事件と比べても「同様あるいはそれ以上に悪質といえる」と主張していた。
求刑と同内容の宣告刑なのですから,裁判体も検察官と同意見だったということなのでしょう。
犯したとされる罪は重大とはいえ,19歳の段階で「犯罪性向は根深く、更生は期待できない」と決めつけられ,命を奪われる社会って,他の一般市民にとっても,果たして生きやすい,いい社会と言えるのでしょうか。何か日本全体を覆う「再起制限社会」の雰囲気がこの裁判にも現れたように思えます。
この裁判では被害者参加がなされ,遺族や遺族の代理人弁護士から極刑=死刑を求める意見が出されたようですね。(元交際相手の姉ら3人殺傷、19歳少年に死刑求刑(asahi.com))
被害者参加制度自体の是非はとりあえず措いても,極刑を望む遺族の声を前にして,それに反する意見を裁判員がどれだけ主張できるのか。本件のように従前の基準からしても死刑になる可能性のある事件については,遺族の意見に流される裁判員が多くなるのではないでしょうか(この点は職業裁判官も最近は同様な傾向を持っているような感を受けますが)。裁判員裁判については,それを続けるにしても(私は廃止論者ですが),被害者参加制度の適用は排除すべきように思います。
裁判員制度については,死刑判決は従来に比べ減るのではないかと言われてきましたが,タイミングの問題もあるかもしれないとは言え,10日も経たないうちに2件出されたことで,今後は立て続けに出てくることも予想されます。
まあ,裁判員裁判については,もともと被告人のための制度ではないことは,司法制度改革審議会も述べているとおりですが,結果としても被告人のためにならないことが明らかになってきたというべきなのではないでしょうか。日弁連は,本件判決に際してもコメントを出していますが,現状を踏まえて,単に評決のあり方にとどまらず,裁判員制度自体の廃止(そこまでいかなくても,廃止を含めた根本的見直し)に言及すべきでしょう。
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