公取委、ジャスラックに立ち入り検査2008年04月23日

どのような違反行為があったのか気になりますね。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3835491.htmlNews i-TBSの動画ニュースサイト

関係者によりますと、「ジャスラック」は、音楽の著作権をもつ作詞者や作曲者などから委託をうけて、音楽の利用者から利用料の徴収したり権利者への分配などを行っていますが、法律改正によって新規参入が認められたにもかかわらず、それを困難にしたということです。

JASRACは他の著作権管理団体に比べ圧倒的シェアを誇る事業者なのですから,横綱相撲を取っていればいいのにという気がしますが,そんなに競争業者が現れたのがいやなのですかね?

公取も,JASRACほどの業者に対して立入検査という手間をかけるということは,それなりの自信があってやっているのでしょう。著作権管理業を独占的状態の監視対象分野にした(PDF)のは間違いでは無かったということでしょうか。

追記:

読売に詳しい記事が載っていました。

JASRACに立ち入り検査、音楽著作権新規参入を阻害

 テレビで放送される音楽の使用料をめぐり、社団法人・日本音楽著作権協会(JASRAC、東京都渋谷区)が放送局との間で同業者の参入を阻害するような契約を結んでいたとして、公正取引委員会は23日、独占禁止法違反(私的独占)の疑いでJASRACを立ち入り検査した。

音楽の著作権管理は2001年10月の著作権管理事業法施行で新規参入が可能になったが、JASRACは著作権数で圧倒、依然として業界で支配的な地位を占めている。

業界関係者によると、JASRACはNHKや民放各局との間で、著作権を管理しているすべての曲の放送や放送用の録音を一括して認める「包括契約」を締結。使用料を実際に使用した回数にかかわらず、各放送局の前年度分の放送事業収入に1・5%を乗じた額と定めている。06年度は各放送局から計約260億円を集めた。

新規参入が認められた01年以降、10法人が文化庁に音楽の著作権管理業者として登録した。しかしJASRACが管理する曲数が圧倒的に多いため、放送局が他の業者と包括契約を結ぶ利点はほとんどない。

使った曲ごとに対価を支払う「曲別契約」という契約形態もあるが、すべての曲を把握するコストや労力がかかるため、ほとんど採用されていないという。

現行の契約形態では、放送局がJASRAC以外の事業者の音楽を使用すればさらに費用がかかるため、公取委はJASRACに著作権の管理を委託する傾向がますます強まって、競争が阻害される恐れがあると指摘している。

私的独占の疑いによる調査のようですね。

公正取引委員会による生産集中度調査によれば音楽著作権管理業のハーフィンダール・ハーシュマン指数(各企業の市場占有率(%)の2乗を合計したもの)が平成16年度で9,835(Excelファイル)ということですから,1位の業者のシェアは99%以上ということになります(99×99+1×1=9802)。

一定の金額を支払えば99%以上の楽曲が使い放題,また,他の著作権管理業者の管理する曲を使ってもJASRACへの支払額は減らない,ということになれば,放送局としても,他の著作権管理業者の管理する曲を使う手間と費用をかけるのは,よほどのことがない限りなくなるでしょう。放送局に取り上げられてもらえないということになればアーティストとしても他の著作権管理業者に管理を委託するのはためらうでしょう。競争業者を排除する効果には絶大なものがありますね。

それにしても,使用回数や使用時間にかかわらず「各放送局の前年度分の放送事業収入に1・5%を乗じた額」って,すごい計算方法ですね。放送局にとっての総会屋対策費ならぬJASRAC対策費ではないか?という気がします。独占企業だからこそできることだと言えるでしょう。

ところで,包括契約で受け取った利用料って,どのように著作権者に分配されるのでしょうか?きちんと使用された割合に応じて分配されているのでしょうか?その辺りの仕組みも知りたいところです。

行政サービスとしての人殺しを求める人たちを生むもの2008年04月23日

昨日,光市の事件の被告人に対する死刑判決が出たようですね。

死刑って,法律に基づいて行われるという点を除いて考えると,殺人行為ですよね。殺意も伴ってますし。

刑の執行というのは司法に関連することではありますが,行政に当たります。死刑を求める人たちって,人殺しを行政サービスとして行うことを求めている人たちって言うことになります。

行政サービスというからには,サービスの提供を担当する人がいるわけなんですが,死刑を求める人たちって,他人に人殺しを担当させることについてどう思っているのでしょうか。

公務だから仕方がない?

実際に担当される方がそう思うのはやむを得ないと思うのですが,他人にそのような業務を押しつける側の言う台詞ではないように思います。

私は他人にそんな業務をさせるのは忍びませんし,自分がそんな業務をやるのもいやです。

ところで,行政サービスとしての人殺しを求める人って,どうして出てくるのでしょうか?

被害者遺族の気持ちとして出てくるのは,分からないでもありません。ただ,それが死刑という形でしか癒されないのか,他の代替的手段(カウンセリングなど)で癒されるようにすべきではないのか,という点について,日本の政治過程の中で真剣に検討されるべきように思います。

この点については,約2年前に,破棄差戻判決が捨て去ったものでも述べたように,被害者保護の無策のつけが刑事司法に回されてきているように思います。しかしその後の政策は,被害者を刑事訴訟の一構成要素として取り込むことが中心で進んできてしまっているようで残念です。

他方,ネット界隈やマスメディアで死刑判決が妥当だとか宣っている人たちについては,こうした心情を抱かせるに至っている社会情勢,経済情勢が原因であるように思います。この是正のためには,格差社会の是正による経済的生活の安定を図るしかないのではないでしょうか。この辺りについては心理学の専門家にも分析をお願いしたいところです。

リンク追記(資料) [[死刑FAQ:http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-532.html ]](村野瀬玲奈の秘書課広報室

裁判員制度により情勢の打開は図れるのか?2008年04月27日

光市事件判決,安田弁護士を被告人とする強制執行妨害被告事件判決と,私としては首をひねらざるをえない判決が続いています。

前者に関して小倉秀夫弁護士が,

私は,近々実施される裁判員制度には様々な問題があるとのご意見にはあたっている点がないわけではないことを認めながらも,職業裁判官による刑事裁判の悲惨な実情を見るに付けて,未だ裁判員制度の方にまだ光明を見いだしうるような気がしてなりません。

と書かれているのと同じような気持ちが,冒頭の2判決に接して(といってもまだメディアを通じた情報しか知りませんが)私の頭の中にも一瞬よぎりました。

裁判員制度を推進してきた弁護士の人たちの気持ちも,現在の裁判官による裁判への絶望からでてきたものでしょう。

しかし,それって,よく考えると以下のようにリスクが大きすぎ,また,そのようなリスクに見合ったメリットを得られるものともいえないのではないでしょうか。

そもそも裁判員制度自体,司法制度改革審議会意見書によれば,国民的基盤の確立のためのもので,個々の被告人のためのものではないとされています(したがって,被告人による選択権も認められていません。小倉弁護士の設問の建て方は選択権があることを仮定しているので,この論点はクリアされたというのでしょうが,制度設立の目的はやはり重要でしょう。)ので,制度目的からして裁判員制度に期待をかけることはできません。

いや,制度の目的がそうでも被告人に有利な制度として使っていくんだと,推進派の人たちはいわれるのでしょう。でも,そのようにあえて死中に活を求めるように裁判員裁判を選択するか,と言われると,私は躊躇を覚えます。特に今のメディアの過熱報道振りや,一時のネット界隈での,弁護人を擁護するブログへの非難コメントの集中振りなどを見ていると,市民に委ねてもいい結果がでるのかどうか,かなり懐疑的にならざるを得ません。

また,裁判員裁判では,公判前整理手続で証拠申請の時期は前倒しにするよう限定されますし,集中審理で弁護人の負担は増大します。加えて,裁判員裁判が所詮は多数決によってなされるものであって,本当に十分な審議によってなされるものなのか(裁判員の負担軽減という点から審議が打ち切られないか)ということも問題です。

そして,判決後も裁判員裁判については問題が残ります。裁判批判が封じられるのではないか,という点です。本年4月18日に開いた集会で斎藤貴男さんが言っていたのですが,今までの職業裁判官による裁判は所詮権力者による公権力の行使だから,躊躇無く批判できた。これが同じ国民による裁判ということになると批判できなくなるのではないか,また,被告人にとっての衝撃も大きいのではないか,というのです(この点のまとめの文責は私にあります,念のため)。

職業裁判官による裁判に問題が多いことも事実でしょう。ただ,安田弁護士の事件や立川テント村ビラまき事件の1審で無罪判決が出たように,弁護人が力を尽くせばそれに応えた判決を言い渡す裁判官もいるわけで,高裁で妙なことを言う裁判官がいたからといって裁判員による裁判の方が良いとは言いがたいように思います。

また,冒頭の2判決はいずれも高裁判決であり,高裁段階では裁判員が加わって行われる裁判は無い(したがって,1審で裁判員による裁判がなされても同じ結論になる可能性が大きい。)ということは留意されるべきでしょう。

小倉弁護士の

といいますか,職業裁判官制と裁判員制と弁護人が選択できる場合,接見及び記録の精査の結果被告人の弁解は概ね真実だと確信したら,裁判員制の方を選びませんか?>弁護士の皆様。

という問いかけに対しては,全否定はしないものの,事件についてのマスメディアの報道振りなどを踏まえて慎重に考える,という回答になりますね。